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聾唖のメガホン。

要点:ここではない何処かの風景に、憧れを探す。

いつも通り不眠症を気取って、暗い部屋で天井を見つめながら、その先にある失われた世界を覗き込んでいる。これが夜の匂いを主食とする僕らの営みだった。

理想郷。その言葉はいつもディストピアを想起させる。いつまでも続く曇天、銃器を携えた無表情な憲兵、配給切符を握って行列を作る市民、サブリミナルに満ちた思想広告、管理されたキャリアパス、そしてビッグブラザーの絶対的存在。

そんな最も効率的で、今の価値観では非人道的とされるシステムの中で、僕らは世界を恨んでいたかったし、絶望していたかった。メガホンで何かを泣き叫びながら思想警察に連行されたかった。(今の世界は平坦すぎて熱意がない。つまるところ僕らがメガホンで叫ぶ理由も価値もない!)僕らが描くべき理想とはこういった過激な外的環境によって激情が剥き出しにされる状態だった。

黙する群衆の中で、ひとりだけ何かをわめき散らしながら、破滅していきたいのだ。そうして捕まったあとは、牢獄の中でブランキのように石壁を天体に見立てて、回帰する世界を夢見ていたいのだ。

でも寝台で天井を見つめるだけの僕らにはそれらを決行する力はない。メガホンを前にしても声帯は萎縮したままだ。叫ぶほどの思いもなく、叫ぶだけの気力もなく、向精神薬がもたらす揺りかごにもたれかかっているだけだった。

聾唖はメガホンで叫ぶ夢を見ている。

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