見出し画像

ひとりぼっちの宇宙遊泳。

要点:手が届きそうで届かない場所への憧れ。夢はいつも創造力の限界線の上にあること。

いつか宇宙遊泳がしたい。そう願っている。

太古の昔、詩人は鳥になる夢を見た。届かない空が憧れの器だった。科学が進歩した時代の僕らは、空にたどり着くことができるようになった。飛行機の切符を買って、空港に行きさえすれば良い手軽さは、憧れの器にはもうなり得ない。

僕らはその代わりに宇宙遊泳をする夢を見る。真空が生み出す無音、極限の冷え、天体の巨大な引力、移動エネルギーと遠心力、全て僕らの想像を越えたスケールで存在している。

静止軌道を廻り続ける廃棄された人工衛星から発せられる誰にも届かない通信、あるいはショートした回路の孤独な火花が僕らの憧れになるのだろう。

いつか、その先に生まれた詩人は何の夢を見るのだろう。太陽系の先の暗闇を飛ぶ恒星間飛行の夢を見るのか、はたまた、深海の果ての水窟でじっと身を潜める、未踏の貝類の夢を見るのか。

でも僕らにはわかっている。僕らの行き着く場所は虚無だ。僕らに根づいた没落への意志が導く先を、僕らはいつも視ている。

T.S.エリオットの虚ろな人間。あれが僕らの原風景であり、たどり着くべき場所なのだ。

つまり、爆風が全てを飲み込んだあとの静かな場所の片隅の、タールに汚染された水溜まり。そこで泳ぐ奇形の水棲生物の死にかけた呼吸音が、僕らの憧れる孤独な宇宙遊泳であり、想像の原点なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?