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雨と終末。

要点:雨の中に見える都市。雨と都市が喚起する原風景。

局所麻酔を打ち込まれたみたいに弛緩したまま、波の音を聴いている(それは実際には長子が悪い空調器による不規則な雑音なのだけれど)。夢を見ている時よりも、こうして薄明かりの天井を眺めている時の方が、逃避として相応しいような、そんな気がしている。暗がりの中で丸まったまま、焦点の合わない瞳は、ここではない何処かを見つめている。

雨が降っている。いつからかわからないくらい降り続けている雨に、都市は沈んでいく。雨の潮位は排水溝から溢れて、アスファルトを覆って、そうして少しずつ雨の層が堆積していく。

出歩く人々は、雨の中へと溶けていった。雨溜まりに足を踏み入れたとき、自転車を止めて足を着いたとき、車のエンジンを止めて降りたとき、雨と人の接点が生じたとき、人々は瞬く間に霧状になって、都市を満たす雨の一部となった。雨の降る音に紛れて、都市は静けさを増していく。

自宅の窓越しにこの雨の異常性を目撃しても、人々は取り乱したり動揺したりしなかった。ああ、ようやく来たか。そんな諦念と安堵で入り乱れた気持ちで満たされていた。皆ゆっくりとお茶を飲みながら家族の時間を過ごしたり、趣味の音楽を楽しんだり、大好きな映画を見たりして、そうして気持ちが一段落したら、雨具を着けずに外へ出た。

僕らは世界がこんな風に終わっていくとしても、皆と一緒に消えることはないだろう。僕らはこうして世界が終わったあと、雨が上がるまで待ち続けるだろう。

日の感覚が失われるくらい待ち続けて、ようやく晴れ間が覗いたとき、僕らは家を出て、脱け殻の都市を徘徊する。

雨の層が引いたあとの都市は伽藍だった。所々に落ちているかつての人々の営みの跡(ビニール袋のごみだったり、吐き捨てられたガム)は、遠い昔の遺物のような佇まいで存在している。信号機は光を失っていたし、バスや車は路肩にそのまま乗り捨てられている。このあたりでは時折聞こえていたジェット機やヘリコプターの音も、一切聴こえない。

カンカン照りの日差しの中で、何もかもがしんと静まり返った都市は、どうしてか僕らの想像と異なっていて、居心地が悪く感じる。

都市は完成間近の状態であった。

それに気づいたとき、僕らは自らの不完全性を憂い、空を仰いだ。けれども雨の気配は微塵もなかった。


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