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午後の倦怠。

要点:移動販売車の憂鬱。生まれ持った性質。

昼下がりに家から出ると、普段はいない移動販売車が弁当を売っていた。強い日差しと気だるく間延びした午後に、窮屈なトラックに乗り込んだまま弁当を売り続けるなんて、とても自分にはできないと思った。

きっとベンヤミンだったら、トラックの調理台に詰まった魔術的仕掛けだとか、移動販売車が何処からやって来て、何処へ帰っていくのかだとか(それはもちろん都市が引いた境界線を往き来する神秘性についてだと思う)、そうした非日常をいくらでも語れるのかもしれないが、なんだかいつもの空想癖は黙ってしまって、陳腐に大変だなと思ってしまった。

誰にだって憂鬱はあるのだろうけど、憂鬱の気配を感じさせない人種がいる。僕らみたいに陰鬱で感傷的であることを誇ったりしない、大人な人間たちだ。

移動販売車はだいたいそういった人種がやっていて、僕らと共通の属性を持っているタイプはまずいない。

どうやったらあんな風に何もかもを前向きに捉えていけるのかわからない。生まれたときから何かが違うのだろうとしか思えないくらい、とにかく全然違っている。

彼らは彼らなりに何かを信じて生きているのだと理解しておけば良いだけなのだけれど、なぜかそんな人間たちを目の当たりにするとひどく疲弊してしまう。まるで自分が移動販売車で一日中弁当箱を売り続けることを追体験したみたいに、猛烈な疲労感でいっぱいになってしまう。それどころか、一日中売り続けたあとに、次の日の仕込みをするところまで追体験した気分になって、本当にぐったりとしてしまうのだ。

散歩後に頭痛薬をぼりぼりと噛み砕いて、ほんの少し仮眠をとる(なぜなら僕らはいつも睡眠不足であるはずなのだから)。

時折聴こえるジェット機が飛び去っていく音。じりじりと西へ流れていく太陽。睡眠への退行。それが僕らの午後の倦怠。

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