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銀河鉄道の廃線。

要点:祈りたい自身の姿と、本質のずれ。苦しみへの憧憬。

フナムシが囁いている。蛙が泣いている。海風が防風林を揺らす。そして僕らは乗りそびれた銀河鉄道の廃線に佇み、夜に取り残されている。もう降りることのない錆びた遮断機に寄りかかって、煙草に火をつける。

どうしてかわからないけれど、銀河鉄道を想起するのはいつだって初夏の夜半だ。夏の気配が窓から部屋に入り込んでくるとき、意識はあの懐かしい廃線に帰っていく。

ジョバンニでもカムパネルラでもない、物語の蚊帳の外に置いてきぼりの僕らは、映写機越しに彼らの逃避行を眺めている。

蠍火が燃えているよ。僕らは彼らの通った道を同じように辿りながら、互いに囁き合う。祈りの純度が、ルビーよりも赤く透き通り、リチウムより美しく酔ったように、滔々と燃えているよ。蠍火の反射が、死者の頬に紅を差したみたいに、僕らの不健康な青い顔を明るく照らしている。

誰かのために。そう強く願った蠍の本質はどうだったのだろう。強く願った時、時間が巻き戻されて、いたちともう一度対峙したなら、本当に彼はいたちに黙って自らを差し出したのだろうか。英雄で在りたいという祈りと骨と血肉に染み込んだ存在の卑小さがぶつかり合ったとき、勝るのはいつだって後者のはずなのだ。何度繰り返しても身体が勝手に逃げ回り、井戸の底で何度も絶望することこそが、天体の永遠が指し示す理のはずだった。

何度繰り返しても同じ結末を迎えることを理解したとき、彼は自らの祈りと本質の差異に苦しみながら、その心色で燃え始めるのだろう。僕らが惹かれるのはいつだってそういった暗い憧憬に他ならない。

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