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適応障害で休職した

ようやく書き留められそうなので、自分用の備忘録として。

5月下旬、医療機関にて「適応障害」の診断。正直ホッとした。先生から休職を打診され、逡巡してしまう自分に驚く。休みたかったんじゃないのか、と心のどこかでいう。ずっと泣く。

死んだように、寝転がる日々。何もする気が起きず、動悸と不安だけが募る。復職さえしたくない、働かないと生きられないなら生きなくていい、と思う。一人でいると危ない気がして、両親がいるリビングで1日の大半を過ごす。食事もめんどくさい。映画もテレビも見られない。本も読めない。ゲームもできない。会話もしたくない。ただ、漢方薬のおかげか、プラシーボ効果か、涙は出なくなる。それだけでだいぶ楽。休職手続きのメールだけ頑張って進める。ずっと眠い。

6月頭ごろ、母親の「この時期こうだったって何か形に残る方がいいかもよ」という言葉に促され、ゴッホのレゴを購入。1日2時間、集中する時間ができる。細かいパーツが大量でよかった。色合いも素敵だった。今も家にかざってある。この頃も眠い。昼寝もたくさんする。

両親が近所の川や神社などに車で連れていってくれるが(自然が見たいと言ったので)、車内でも落ち着かず、動悸が止まらない。自然を見て癒されようと思ったのに「帰りたい」が先行する。帰りたくて、喋りたくなくて、ソワソワする。2〜3時間のおでかけがまだ厳しい。

6月中頃、ゲームができるようになる。マイクラを始めた。ひたすら何かを壊して、作り上げるのが主軸のゲームなので無心で行えて大変良い。相変わらず動悸はひどいので救心を飲んだ。徐々にラインを返せるようになる。(1日1通とかだが)泣いたりもする。久々の涙に驚く。まだ余裕はないんだなと思う。

6月下旬、約4ヶ月ぶりに恋人に会う。仕事が忙しくなって、人と会うのが恐ろしくなって、気づいたら最後に会ってから4ヶ月経っていた。実は6月頭頃から毎週末会う予定を先延ばししてもらっていて(怖くて)、この日も朝起きて「無理かも」「来週でもいい?」とLINEをしていた。「無理そうだったら途中で解散でいいよ」という優しさの言葉に促され、会う。直前まで家を出るのが怖かった。地元まで来てくれたので、行かなければと奮い立たせて会う。2時間ほど散歩と休憩をして、解散。普段より格段に話さなくなった私に何があったのかを聞かず、いい人だなと思った。

最初の頃に比べ、ゲームもできているし、一回人と会えたし、徐々に良くなってる感じがする。本も読んだ。両親と動物園に行ったり、牧場に行ったりした。昼寝は相変わらずしてしまうが。そう思っている最中、姉の何気ない言葉に泣いてしまう。まだ心の皮が治っていない、と思う。

7月頭、最初に診断書に書かれた休職期間の終わりが近づいてくる。自分が職場復帰してメールをしたり、上司と話をしている想像がつかずそれと同時に漠然と恐ろしい、と親に相談しているとまた涙が出た。まだ無理だろうなと思った。すこしずつ自分の病気について知ろうと思い始め、本を読んだり、ネットで色々調べたりするようになる。今自分は回復期に入り始めたんだろうなと思う。

少しずつだが、前向きに回復しようと思え始めている。休職期間はまた延長になったが、このまま自分のペースで、やっていきたい。日々の記録などをここに記していけたら良いなと思う。