見出し画像

3日目 孤独を愛するさみしがり屋

もともとひとりっ子で、両親共働きの家庭で育ったわたしは、幼稚園に通う頃からひとりで留守番をするようになりました
(幼稚園は公立の1年保育だったので、5歳から6歳にかけてということになります)
両親は、私が幼稚園に入園する少し前に家を建て、必然的に?母親もフルタイムの仕事に出るようになりました
延長保育などない田舎、家の鍵を首からぶら下げている、いわゆる「鍵っ子」になった訳です

親に傍にいて欲しかった時にいてもらえなかったこの時期が、今の私の人格形成に大きな影響を与えているのは否めません
ただ、まだ若かった両親にとっては、「仕方のないことだから、あなたもわかってね」という思いがあったのだろうと今は理解しているので、恨みのような気持ちはありませんが…

「誰かと一緒に暮らす」として、同じ空間にいてひとりでいる時と変わらない時間を過ごせる誰かだったら、「孤独」を求める必要はありませんよね?
両親と暮らしていた時は、いつも疲れている両親に気を遣い、顔色を見ながら過ごしていたので、上記には当てはまりませんでしたね

極めつけは、結婚してからの生活でした
年上夫の希望で、寿退社(通じるかな?)後、専業主婦で転勤生活
子どもが生まれて成長するにつれて、いろいろな葛藤が生まれました
「プライバシー」が全くない!
自分の時間もスペースも確保できない!!
自分のペースが蔑ろにされる!!!
一般的な家庭では当たり前のことかもしれないけれど、「孤独を愛する私」にはストレスフルでした…

子どもたちの大学進学で夫婦ふたり暮らしになったところで、別居→離婚
元夫は、私にとって、同じ空間にいてひとりでいる時と変わらない時間を過ごせる人ではありませんでした
約20年ぶりのひとり暮らしを始めて、信じられないくらいよく眠れるようになりました
夫から「早くお風呂に入れ」「早く寝ろ」と言われることがなくなったし、高校生の子どもから「宿題手伝って」と寝る直前に言われて手伝うこともなくなりました

自分のために自由に使える時間と、狭いながらも自分の収入で借りたスペース(ワンルームマンション)を確保したのです
「孤独を愛するさみしがり屋」とは言いつつも、結局は「孤独を愛する>さみしがり屋」が正しいのかもしれません
こうやって文章にしてみて、改めて気付きました

また、「誰かと一緒に暮らす」として、同じ空間にいてひとりでいる時と変わらない時間を過ごせる誰かと出会い、時間をともにする日が来るのかな?
あんまり望んでいないのが本音だけど(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?