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迎えに行こうか行くまいか

大掃除が着々と進んで、いろいろと書類の整理などもしているのですが、ひとつ、悩ましい伝票があります。

それは、お三絃の修理代金の領収書 
兼引き換え伝票。

今年の初めのことでしたが、この数年、手に取ることのなかったお三絃のケースを開けたらなんと。
皮がべろん、とやぶけていました…
思ってもみなかった無惨な姿にぎょっとしましたが、そういえば、しばらく前の夜に得体の知れない音がして、薄気味悪いなあ、なんの音だろうなあ、と部屋じゅうを見回したことを思い出しました。

新年の抱負で、お稽古はやめてしまったけれども今年はこれまでに習った三絃の曲を自分でさらってみようかな、と思っていたその出鼻をくじくかのよう。
スマホのボイスレコーダーに録りためた鼻歌をお三絃の楽譜に起こしてみる、という野望もくじかれました。

皮の張替えをお願いした職人さんには、たまにはケースから出さないとだめですよ、と言われましたが、そもそもケースを開けること自体が重荷になっていたのですよね。
いつのころからかお稽古が修行みたいに感じられて、お三絃を弾いても楽しくなくなってしまったのです。

なんていうのでしょうね、
嫌いになったわけじゃない。
けれどたしかに好きだったはずの、付き合いの長い彼女みたいな感覚。積極的に関係を修復するつもりはないけれど、手放すつもりもないというか…

お三絃のことはほったらかしなくせに、なにかしら音楽だけは続けたくて、いっときは、前から興味のあったサズに手を出してみたりもしました。

サズは言葉の通じない、異国の姫君みたいな感じで、心がときめきました。お三絃にくらべて驚くほど軽いことも耳慣れない音程も、なにもかも新鮮でした。
なのに、サズがうまく弾けないときはお三絃に戻って、慣れた指づかいや音程にほっとしながら弾き散らかしたりしたものです。
新しい彼女に苦戦して元の彼女になぐさめてもらうといったところでしょうか。
それで、ああ、浮気ってこういうことかな? と妙に合点がいったりもしたんですよね(苦笑)

それでですね、その伝票なのですが。
今年の2月に修理をお願いして、いまだに連絡が来ていないのです。
はたして彼女はどうなってしまったのでしょう…
もう治っているのでしょうか。

職人さんに電話をすれば引き取りに行かざるを得ず、そうすれば、懐かしくもあり、すこし面倒でもある「昔の彼女」がうちに戻って来ることになります。

時折り、口をついてお三絃の曲の一節が出てきたりします。
そのたびに彼女のことが頭をよぎり、迷います。
迎えに行こうか行くまいか。
はたして彼女は私を待ってくれているのでしょうか…

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