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「母なる海」と言われる意味を考えてみた。

海。
地球の大規模を占める大いなる海。
恩恵に預かりし海。
私たちが汚染してきた海。
脅威には太刀打ち出来ない海。
未知の世界、海。

突然だが、「あなたは山派か?海派か?」
と問われたらどちらを選ぶだろうか。
無論、私は海派なのだが。

幼い頃から海との触れ合いが多かった。
祖母の家が海のすぐ近くに在った。
海へ遊びに行くその度に、海との正しく安全な距離感を教えられる。
クラゲの出る時期には行かないこと、
足の付くところまでしか行かないこと、
夜の海へは行かないこと、
泳げるからといって己の力量を過信しないこと、
海には引き摺り連れて行ってしまう魔力があるということ。

私は水泳を10年ほど習っていたので人並みより多少は上手く泳げるのだが、陸に居るよりも水中の方がずっと自由だと感じていた。
某人魚姫は陸地の生活にずっと憧れていたと言うのに。

まだ小学生も入りたてな頃。海水浴を楽しんでいた時に調子に乗って沖の方へずいずい進んでいき、遊泳禁止エリアに一度迷い込んでしまったことがあった。あの時は意外にもすんなりと、全ての終わりだと死を悟った。足先に向かうにつれて水温はひんやりとするし、行き場もなくただじたばたと浮遊する足が寂しくて頼りなくて、下を見るも深い闇が広がるだけで心底恐怖を味わった。
ライフセーバーのお兄さんあの時はありがとう。
それでも海には何故か魅了され続けている。
恐怖を感じても嫌いになったことはない。



本題に入ろう。
「母なる海」とはよく聞く言葉だが、
なぜ海が母なのか。山が母ではいけないのか。

有名な話だと思うが、全ての生命は海から始まったと言われている。
ずっとずっとずーっと先祖を辿っていくと、微生物、プランクトンから生命が生まれていると。後に進化して私たち人間がいると。
なるほど、人間の水分量が成人で60%、新生児に至っては80%を占めるのも頷けよう。
植物も動物も水がなければ生きてはいけない。水がなければ枯渇していく。
命の源。産みの親。
(あ、"産み"の親ってもしかして"海"が掛かってる?)

寄せては返す波を見ていると何故か安心する。



2011.3.11
あの大地震で多くの人の命は絶たれた。
津波のもたらした被害は甚大だった。
それ以上に残された者が負った傷は未だに深い。

私は東北の海を見たことがある。
それはそれは綺麗な碧だった。
この海がたくさんの命を連れ去ってしまったのだと思うとその美しさは不気味にも思えたが、それでも海は紛うことなく美しかった。
正直なところ、関東に住んでいる私にはあの時あの街がどんな恐怖に呑み込まれていたか、想像もつかない。実際に襲ってきた津波の高さの指標を目の当たりにしたところで、目の前に水の壁が立ちはだかり無抵抗に無力さを思い知らされる光景は、想像だけでは補填しきれない。
たくさんの命を奪った海に恨みを抱える人もいるだろう。近づけなくなってしまった人もいるだろう。
死んでよかった人なんて一人もいなかった。
だからこれは私一個人の意見として聞いて欲しい。

きっと、海へ還されてしまった人々は、また次なる命となってこの大地に帰ってくる。母なる海はきっとまた新たに命をもたらしてくれる。
輪廻は転生する。
きっと。きっと。



3.11でお亡くなりになられた皆様が
どうか安らかに天国で過ごしていますように。
そして、残された私たちも
またコロナという脅威に立ち向かっていけますように。



そんな気持ちで迎えた3月。
共に生きていこう。
無理に頑張らなくていい。
着実に一歩ずつ進んでいくことが大事だ。
今はそう思う。

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