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はじめの一歩ほど、苦しくて辛くて逃げたくて、そして、愛しいものはない。

昨日の記事「パーソナルコーチが講師をすることになったらめっちゃ悩みの沼だった。」を書いてFacebookでシェアしたら、お久しぶり方からコメントをもらった。

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このコメントをもらってすぐに、私の中で不思議なことが起きた。

苦しいつらい逃げたい。でも

非常勤講師の仕事は私のキャリアにとって、間違いなく勉強になるものだということは自覚していた。もともと「成長したい!」という気持ちは強い方で、やったことがないことにチャレンジするのはワクワクして飛び込むタイプだ。けれど、新しいことを立ち上げること、そしてそれを自分なりの納得感ある精度に引き上げること、そしてそれを続けていくことはめちゃくちゃパワーがいる。案の定、立ち上がりは(今もだけど)本当にしんどくて、「さぁ、何をどうしよう・・・」とノートを開いても、真っ白なままの時間が本当にもどかしかった。なんとなく何かを書き始めても、どれもこれもしっくりこない。もう考えるの、いやだなぁ。と部屋の片づけに逃げたりもした。

その時にふと考えたことがある。これまでやってきたコーチングをそのまま続け、クライアントを順当に増やせば、新しいことをやるよりは楽に年収だって増える。もちろんそれだって悪いことじゃない。でも、なんかしっくりこない。なんていうか、つまらない。だから何度も自分の心に「今は、どんな選択をしたいの?」というのを聴いてみた。はじめは
キャリアのためになるよね~、勉強になるんじゃない~とか、
先生ってすごいじゃんとかでてきた。
でもそうじゃない何かがある。そして何度か聴いていくうちにやっと本音らしいものが出てきた。


「与えてもらったこのチャンスをやりきったら、自分と自分の世界がどうなるのか見てみたい」


という声だった。そうか、私がこのチャレンジをするのは結果が~とか、キャリアがどうこうではなくて、「私という人間が、この経験を通じてどうなるのか見てみたい」という私の、私に対する期待があるんだということに気が付いた。

もっと大人になった私が今の私を見ているとしたら

私にはもうすぐ3歳になる娘がいる。近所の公園にある鉄棒がだいすきで、小学生くらいのお嬢ちゃんがくるくると軽やかに回っているのをみて感動し、自分も同じようにやりたい!と頑張っている。が、まだまだ2歳児。ぶら下がって足を持ちあげるだけで精一杯。なんども、なんどもタイミングの合わないジャンプを繰り返しながら、それでも顔を真っ赤にして真剣なまなざしでチャレンジしている。「なかなかでちないねぇ」と漏らすその姿を見て、「なんて愛しいんだろう。いつかできるようになるよ。がんばれ!!」と心の中で思っていた。

そして思った。あ、もしかして、未来のもっともっと大人になった私が今の私を見たら、同じ気持ちなんじゃないか。なかなかいいアイデアが浮かんでこなくて部屋の中をぐるぐる歩き回ったり、初回の授業で緊張しすぎてわき汗がすごいことになったりする私はもう、未来にいないんだ。

今この瞬間を味わう

3か月先の私は、授業に少し慣れはじめ、わき汗が大量にでることもなく、授業があるということを普通の日常に組み込んでいるのかもしれない。そう思うと急に「今の私」という存在は、私の中でもけっこうレアなのかもしれないと思った。同時に、娘を見ているのと同じように「がんばれよ。いつかできるようになるぞ。」と見守りたくもなった。いやだいやだ逃げたいなぁと思って今感じているコレは、今しか味わえない感情だということも知った。


といいつつ早くやってきてくれ、未来。
今日も実は、真っ白なノートを横目にこのnoteを書いているわけです。。。とほほ。



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