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なぜデザイン学科の美大受験にデッサンがあるのか。

美大を目指そう!と思うと、まず第一関門として「デッサン」の壁があります。(今は分かりませんが、他の普通科目で成績が良い人は特別枠があってスルーできました。)
「デザインと」いう今ではPCでイラレのようなソフトで作るような、ちょっとデジタルでおしゃれなイメージなのに、まずはとてもアナログで泥臭い(!?)デッサンと向き合うことになります。

ちょっと専門性というか、修行感があって、これから美術という門をくぐり始めたのかという感じに私はワクワクしたのですが、そもそも「デザインってデッサンいる?」「平面構成でよくない?」って一度は考えたことはありませんか。

頭の中のイメージを造形に落とし込むという意味である程度の画力、そして
よく見せるための構図などを鍛えるなど他にも意味はあるのかと思うのですが、今思うとデッサンで鍛えていたのは、造形における「メタ認知」つまり、冷静に客観視する力だと思うのです。

メタ認知
《metaは、より高次の、の意》認知心理学の用語。自分の行動・考え方・性格などを別の立場から見て認識する活動をいう。

weblio国語辞典

メタ認知の難しさ

特にデッサンを学んだ初期によくあるのが「こうだ!」と頭の中で決めつけて描いてしまうこと。

それをよく思い出すのは、予備校の夏期講習でヌードデッサン。
予備校とはいえ、本格的だなーと思ったし、人の裸をまじまじと見て描くなんて、そうそう高校生には無いシチュエーション。

クラスでは最後に描いたものを全員並べて、みんなで講師の講評を受けるのですが、特に男子生徒が書いたデッサンは体のバランス(特に胸)がめっちゃ現実と違くて、かなり動揺があって、いつも以上に客観視できていないのだな、というのを横目で見ていました。(その絵はちょっと見てはいけないものを見た感すらありました。笑)

自画像が得意だった理由

私がデッサンの中でも一番評価が良かったのが自画像でした。
というのも高校生の自意識過剰でめっっっっちゃ外見にコンプレックスがあった時期ので、「可愛く描きすぎじゃない?」とか言われたらめっちゃ恥ずかしい。こう自分は思っていると思われたくない!というのが発動して、とてつもない集中力で描いていました。

授業終わりの講評も、普段は中段止まりなのに、珍しく上段真ん中だったのを覚えています。(美大予備校の謎ローカルルール?で、良い作品ほど上の段で初めに解説されるシステム)

というように、デッサンはメタ認知とかなり関わっていると思うのです。


デザイナーと造形に対するメタ認知能力

デザイナーに限らず、メタ認知は全ての職業、人にあると良い
能力だと思うのですが、デザインを作っている最中に途中で何度も、
これはどう綺麗に見られるか。さらには内容がわかりやすいか。伝わるか。
というのを確認しながら作っていくので、その際にかなり必要な能力かと思うのです。

そのためのメタ認知能力をつけるためにデッサンを練習していたんだなーと、今になってよくわかるのです。もちろん絵として仕上げたりとか完成させる能力を鍛えたり、集中することも大いにあると思います。
ですが、平面構成だけじゃないのは、観察物を客観的に見て捉える能力を鍛えることも大切だからではないでしょうか。

今はなかなかデッサンをやる機会も中々無いのですが、
日々制作の中で、造形に対するメタ認知能力を意識していきたいです。

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