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長い長い自己紹介

はじめに

初めてnoteに投稿します。
安曇野で設計事務所MIGRANTを始めるにあたって、自己紹介を書くことにしました。ホームページに経歴や安曇野で仕事を始めるに至る経緯は載せていますが、noteではもう少し詳しく、というより人生初めて、自分のことをまじめに振り返って書いてみようと思います。書いてみた結果ものすごーーく長くなったので、読み始めてくださる方は覚悟を決めてください笑。
私は今、初めて自分の人生をすごく気に入っていて、そこに至った過程を知ってもらえたら嬉しいです。

おおざっぱな経歴

東京生まれ東京育ち。中野のマンションの10階で生まれ育った超都会っ子です。母方の田舎が安曇野で、立派な古民家を持っていたため、小さい頃から夏はずっと安曇野で過ごしていました。絵を描くのが好きで工作も好き、とにかく物をつくることが好きで、数学や物理も好きだったので、なんとなく建築かな?という適当な理由で早稲田の建築学科に入り、建築に明け暮れる日々を過ごしました。そろそろ就職を考えなきゃという頃、日本で一番大きな設計事務所、日建設計からお声がかかってすんなり就職が決まり人生安泰かと思ったものの、一年半で退職、その後とある住宅作家の事務所に入って8ヶ月ほどでまた退職し、人生思い悩んで一年あまり旅をしたり何もしなかったりのニート生活を過ごしたあと、手塚建築研究所に就職。激務と過度のストレスに死にかけながらひとしきり仕事を覚えて、手塚夫妻の信頼も得て仕事ができるようになったころには仕事が楽しくて仕方がない状態に。調子に乗って働きすぎた結果体調を崩したことがきっかけでもう一度人生と働き方を考え直し、独立も視野に入れながら一年じっくり考え、手塚事務所で出会った仲良しの友人寺田と一緒に安曇野で設計事務所を始めることにしました。体調を崩してからの紆余曲折により、全力で遊び楽しむことを人生のNO.1プライオリティとすることに。積極的に遊びまくって生き、自分をとんでもなく豊かにしてその勢いでまわりの人をできるだけ幸せにしたい!設計の仕事をしながら、10年前から始めた登山と最近始めたパックラフトやスキーなどで安曇野を楽しみ尽くす毎日を過ごしはじめました。

さて、ここから先は、本当に長いです笑
こんなに書く必要があるのか自問自答しながら、まあ独立するタイミングでしか自分のこと真面目に書くことないだろうなと調子に乗って書きました。長いですが読んでいただけたらとっても嬉しいです。

幼少期

記憶力がなくて小さい頃のことはほとんど覚えていませんが、少し残っているのはほとんど安曇野で過ごした記憶です。家のまわりの田んぼの畦道で蛙を探して、家の前の小さい川に蛙を流して、庭の雑草で料理の真似っこをして過ごしていました。小さい頃からこの抜群に素晴らしい田舎を体験していたから、都会っ子のくせに田舎が大好きという妙な人間に成長しました。

いじめられっこの小学生時代

小学生は暗黒期でした。1年生は平和に終わったものの、2年生はガキ大将2人のいるクラスに入って新任の女性の先生が子供たちにいじめられて学級崩壊。加えて仲良し女子グループのいじめが始まって、朝学校に行くと今日は誰をいじめるかという会議が始まり、私はなぜだかほとんどの確率で標的にされ、つらいつらい日々を過ごしていました。同じいじめられっ子仲間の女の子と徒党を組んでグループを抜け出そうとして、その子に裏切られていじめがさらに悪化したりして、子供なりに壮絶な日々でした。おかげで半分登校拒否気味、しょっちゅう仮病で学校を休んでいました。家にいるときはひたすらパズルをやっていて、一日で5000ピースを完成させるペースでやりこみ続けるヤバい子供でした。私の根深い根暗ストイックな性格はこの小学校時代に形成されたんだと思います。

それでも5年生になって、クラス替えで素敵な女の子に出会って人生が変わりました。頭が良くてとても可愛くて明るかったその子との出会いで、いじめもはねのけられるようになり、見違えるほど人生が明るくなりました。私が早稲田に入ったのは、大きくなったら早稲田に入りたいといつも言っていたその子の影響かもしれません。

バスケ漬けの中学~高校時代

中学でバスケを始めて以来、高校の受験期まで、部活に明け暮れる生活が続きました。高校ではバイトも初めて、朝4時に起きてお弁当をつくって、自転車40分漕いで東京の端っこの高校まで通って、朝練して、授業をそれなりにまじめに受けて、放課後部活に明け暮れ、また自転車で中野に帰ってバイトに励み、11時ごろまでおしゃべりをして家に帰って寝る、という生活を毎日続けていました。加えて週末は練習試合。この頃の無限大の体力といったら、自分でもあきれ返るレベルです。でも、この頃培った体力と筋力のおかげで、今とても元気に山に登れているし、運動部で身に付けた並々ならぬ根性がなかったら、建築を続けていられなかったと思うので、がんばってよかったと思います。

建築漬けの大学~大学院時代

早稲田で過ごした大学時代は人生でいちばん楽しかったです。今も超楽しいけれど、大学生って特別。それまで公立のそこそこのレベルの学校に通ってきたので、早稲田に入ったらいきなりぶっとびレベルの頭がいい人たちと出会って、そういう人って大抵おもしろくて魅力的で、世界が一気に広がりました。大学1年生の頃は大学生らしくサークルに入ったり友達と遊んだりして過ごしていたけれど、2年生になってからは建築の課題がいきなりおもしろくなって、建築大好き系の他大の友達もできたりして、一気に建築漬けの日々になりました。早稲田の建築は人数が多くてごく一部の優秀な作品しか講評会という先生たちに意見をしてもらえる場に立つことができないので、とにかく講評に上がるために必死で、寝ても覚めても課題のことを考える日々でした。いや、あまり寝てもいなかった気がします。とにかく楽しかったし、いくらがんばっても疲れなかったので、二徹三徹はあたりまえ、びっくりするくらいの集中力で、設計課題に明け暮れていました。

大学院に入ると課題はなくなって、もう少し実務的なことをする日々。古谷研究室に入ってできた同期や先輩はみんなものすごく優秀で、まわりから受ける影響がものすごかったです。この時期初めて、若干コンプレックス的なものが芽生えたのを覚えています。自分も優秀ではあったけれど、まわりのみんなはなんていうかもっとぶっとんでて、建築オタク度半端なかったし、小難しい本を読んではわけのわからない議論をしていたりして、とにかく普通じゃない。自分はどちらかというと真面目にレールの上を歩いている感じで、なんだかつまらなく思えました。

社会人一年目の戸惑い 日建設計時代

レールの外れ方もわからないまま流れに身をまかせて順風満帆に日建設計に入社。こんななにもできないのにこんなにお給料もらっていいのか!とびっくりしたり、会社にやってくる明らかに超年上のこなれた業者さんがみんなど新人の自分に媚び諂うのに辟易したり、社会というものを少し分かって大人になった気がした社会人一年目。運よくすごく素敵な女性の上司の下について、都内の大きな小学校・幼稚園のプロジェクトを担当して楽しく忙しい毎日を過ごしました。仕事は楽しかったけど、心の奥にはいつも、ちょっとなにかが引っ掛かっている。日建はとても良い会社で、上の人も気さくで、特に不満はなかったのだけれど、毎日都会のど真ん中のオフィスビルに通勤して、大きなエレベーターに同じ会社の人がつめつめで乗っても挨拶することなく、自席に座って作業を始める、なんとなくそれが性に合わなくて。仕事はなんでも楽しかったけれど、日建で担当できるプロジェクトはほとんど巨大建築物で、ひよっこの自分にはそのすべてを理解できる日が来るとは到底思えなくて、このままだと建築をつくれるようになれない気がする、もっと小さいものをつくってみたい、と思うようになりました。

母の死

そんな頃、母が末期がんであることが判明し、いきなり余命4ヶ月の宣告。目の前がいきなり真っ暗になって、なにも考えられなくなりました。とにかく毎日会社に行って、一級建築士の試験勉強をして、平静を保っていたけれど、あの頃のことはあまりよく覚えていません。それくらいショックで、10年経った今でも軽く泣けてくるほど衝撃でした。大切な人がいきなりいなくなるという怖さ。人ってそんな簡単に死ぬんだ。考えてもみなかった。

私の母は私の10倍くらいパワフルで天真爛漫、明るくて可愛くてエネルギーに溢れたとても魅力的な人でした。病気になったあとも、いつも前を向くことを忘れず、家に帰ったら着物をリメイクしていろいろつくってみようと思うの、と病院に行くたびに色鉛筆で描いたたくさんのスケッチを見せてくれて。抗がん剤で髪は抜け落ち、痩せてすっかり小さくなってしまった母、こんなに弱ってもまだ家に帰ることをあきらめず、新しいことに挑戦しようとする母の姿に心底胸を打たれ、自分はなんて臆病だったんだと、まだ若いし元気だしなんでもできるじゃないかということに強く気づかされました。そう、ただただ、怖かっただけだ。みんながやっているようにちゃんと会社に通って毎日を過ごす以外の道を選ぶことが、単に、怖かったのだ。こうして生まれて初めて、レールの上を外れてみる勇気が生まれたのでした。

会社を辞めてからの苦悩 手塚事務所に入るまで

大好きな母が亡くなり、その喪失感とほぼ同時に、2つ年上の姉の娘が産まれました。初めての姪っ子。可愛くて可愛くて仕方がなかった。この、新しい命の誕生というできごとは、私の建築的志向を180°方向転換させるほどの大事件でした。日建を退職して、とある住宅作家の設計事務所に勤め始め、とにかく小さいものを自分で全部考えてつくれるようになりたいと新しい道でがんばり始めていた頃。それまではバリバリのかっこいい建築に憧れていたけれど、それでこの子や姉家族が喜ぶか、幸せにできるかと考えたとき、全然違うな、と思いました。もっと人に近い、人を幸せにできる建物が作れるようになりたい。かっこいいとかおもしろいとか、学生時代に良しとされてきた価値観はここでいきなり無くなって、ふつうの人が喜んで幸せになるならどうしたらいいだろうというようなことを考えるようになりました。そんな志向の転換と、東日本大震災、その他もろもろの出来事がきっかけで住宅作家の事務所も退職。もう一回人生を仕切りなおすことにしました。勢いで仕事を辞めたものの、どの設計事務所に入ったらいいか全くわからない。そろそろちゃんと落ち着きたいから真剣に向き合わなければ。

なにか心に迷いやわからないことがあったときは、旅に出るようにしています。学生時代から何度も日本全国や海外のたくさんの都市を旅してきました。このときはずっと行きたかったメキシコへ。そしてようやく一つの答えが、手塚さんの事務所はどうだろう?他の建築家と違って、楽しいとか気持ちいいとかそういうことを追い求めていてとても共感できるし、子供が喜ぶ建物をたくさんつくっている。夫婦で子育てをしながら設計事務所をやっているのも素敵。事務所が等々力渓谷の目の前というのも素晴らしい。ここしかない!絶対ここに入ろう!

手塚建築研究所に就職、一年目の暗黒期

そんな理由で手塚事務所に就職。入ってすぐは今までの事務所との違いにものすごく戸惑いました。いわゆるアトリエ系。日建のような大きな組織設計事務所とも、住宅をひとつひとつじっくりつくってきた住宅作家の事務所とも全然違う。とにかく忙しくて手塚さんは死ぬほどパワフルで所員はみんな家に帰らない笑。夜中まで仕事をするのが当たり前の雰囲気で、深夜3時ごろ、コピー機に行こうとしたら通路に人が転がっていて紙を取りに行けなくて困ったほど。中途採用とはいえ、中途半端に職を変えてきた私はまだ経験も浅くて右も左もわからない。わからないけれどいきなり現場につっこまれてやるしかない。今週中に外壁とエレベーター承認しないと工期が遅れますと現場に脅かされて、アスロックってなに、エレベーター承認て何すればいいの、みたいなところから始まる怒涛の日々。やることが多すぎててんぱって夜中に先輩に泣きながら電話をしたら、困ったらあいうえお順にやればいつか終わるよ、終わらない現場はないよ、と励まされたのはいい思い出。忙しすぎるのと同時に対人関係のストレスもあって、お昼は毎日一人でマックにこもり、なるべく誰とも会話しないように過ごす、なんて真っ暗な時期もありました。おかげでずいぶん太りました!

※この頃の手塚事務所はとってもブラックでしたが、今ではすっかりホワイトでみんな早く帰るようになっております!

仕事に慣れて楽しくなってきた手塚事務所2年目~

そんな暗黒期を乗り越え、二年目に初めて秩父の住宅の仕事を一人で担当できることになって、仕事がいきなり楽しくなりました。ある程度仕事の要領もつかんで手塚さんとのコミュニケーションも取れるようになっていて、自分のエネルギーのすべてをまっすぐに仕事に打ち込める楽しい時期に突入。十日町のいこての仕事も始まって、設計も楽しいしお客さんも現場もみんないい人ぞろいで、大変なことはたくさんあったけれど、とにかく楽しかった思い出しかなく、毎日たくさんのスケッチを描きまくっていました。設計の仕事って限りがないので、ある程度のところまではそんなに力をかけなくてもできるのだけれど、ある程度では満足できない性質、もっといいものにしたいの一心で、時間が許す限り検討を重ねていました。

↓ 寄棟の家の現場での打ち合わせ

↑ いこての現場にて 大雪で大変!

ついにキャパオーバーした5年目

秩父の寄棟の家を建て、十日町のいこてができて、三条のステージえんがわの現場が始まり、番町教会の設計が始まったころ、立川のふじようちえんの保育園、スマイルエッグスの仕事が超短工期で入ってきました。難しい木造の小さい建物、短い工期だけれどどうしてもやらなければいけない大事な仕事。その時の手塚事務所で、これをできるのは私しかいないだろうなと、すでに他の仕事でぱつんぱつんだったのにも関わらずやることにしました。どう考えても無理だけどものすごくがんばればできるだろう、なにより楽しそうな仕事だしやってみたい、と思ってしまったのです。結果、なんとかやりとげ、とっても可愛い保育園を設計から竣工まで半年未満で完成させました。竣工直前、同時並行でステージえんがわの現場は佳境、番町教会の設計も実施設計に入っていて、人生で一番忙しい時期でした。疲れすぎて顔はボロボロ、夜ご飯をつくろうにもキッチンで立っていることすらできずに座り込み、首元のリンパがはれ上がってきて、ああ、なんかこれ、やばいな、、と思いながらそのまま怒涛の日々は過ぎ。毎年3月のお彼岸あたりに母のお墓参りのため家族で大阪に行くのですが、久しぶりに会った姉と義兄に、今までで一番疲れてヤバい顔してる、リンパが腫れてるならすぐ病院行け、と叱られ、ようやく反省しました。母のお墓参り。体調が悪いことにもう少し早く気づいていたら末期にまで至らなかったかもしれない母のことを悔やみながら、ようやく自分の行いの危険さを思い知ったのでした。

↓ その頃の現場での写真、笑ってるけど顔が疲れてる、、

病気が発覚

姉に叱られてようやく内科へ。病院なんて久しぶりすぎてドキドキしました。リンパの腫れは大丈夫そうだけれど、血液検査の結果、かなり深刻な貧血であることが判明。お医者さんに、この貧血でよく仕事してたね、疲れやすくなかった?と聞かれ、ずっと疲れてたから気づかなかったんです、と答えた今までの愚かさに自分でもあきれてしまいました。この数字はかなりおかしいから、婦人科に行ってみなさいと言われ、初めての婦人科受診。そして人生初めてしっかりした病名を告げられ、目の前が真っ白に。子宮腺筋症。生理のたびに子宮の内膜に血が溜まっていく病気。こじらせるとおなかに激痛が走るようになり、一度なると元には戻らない、こじらせ続けた先は子宮を取るしかない、、、それでも、ごく初期段階で発見できたので良かったと、これ以上進行させないようにすれば問題ないよとお医者さんは言ってくれて、薬をもらって、とぼとぼ事務所に帰る帰り道、一人大泣きしながら、今までの生き方を一気に反省しました。治らない病気。そんなものになるのか、自分も。母が病気になったときあれほど思い知ったのに、なんで自分は大丈夫だと高をくくってなにも考えずにいたのだろう。その後、たくさんの人に話をきいて、東洋医学的な治療もして、とある先生に言われた一言が忘れられない。人間って、無理をしたら絶対どこかにダメージは与えられていて、でも生きていくために必要な臓器は避けなければいけないから、無くても困らない臓器にダメージを与えるようにコントロールしているんだよ。無くても困らない臓器。困らないけど困るよ!そんなの嫌だ、ぜったい嫌だ、私絶対健康になる、子宮に与えたダメージ取り戻す、そっちに全力をかける、、!

自分を元気にすることに集中した手塚事務所6年目~

そんなわけで人生は一発方向転換。遅くまで仕事をするのをやめ、早く帰って良く寝ることと、おなかを温めるためゆっくり半身浴することを自分に課し、貧血を治すために鉄分多めの食事を心がけ、無理しない範囲で仕事をがんばり、ひたすら毎日を過ごしました。それでも最初は心がかなり病んでいて、病気しちゃったことは完全に自分のせいなのに、いろいろな人や仕事に対する怒りがあふれてきてしまって、完全にダークサイド。心が病んでは身体も健康になりようがないと、前から好きだった山に行く時間を増やすことにしました。週末は毎週のように山へ。そうしたらなんだろう、見違えるように心がすくすくと綺麗になっていく。身体の調子もどんどんよくなって、なにより山に行くことがもともと大好きだから、楽しいし元気になるし、最高!山に行けば行くほど元気になり、山がさらに好きになり、気持ちも明るくなって、そんな生活を1年続けて婦人科に検診に行ったら、びっくりするほど子宮がキレイになっていて、お医者さんにものすごく褒められました。なにをするにも全力投球でストイックな性分、ストイックに元気を突き詰めた結果、一年で見違えたようです。ああよかった、本当によかった。そして、少しずつ考え始めていた独立について、具体的に考えられるようになっていました。

↓ 山に登りまくって元気が出てきたころの写真 北アルプス横通岳にて

東京を離れたい、でもどこで?安曇野に行く決意

手塚事務所を離れて自分の設計事務所をつくろうと考えたとき、最初から一人でやる気はありませんでした。手塚事務所で仕事をしてきて、設計は絶対に一人ではできない、何人かで議論を重ねたほうが良いものができると実感していました。手塚事務所でずっと一緒にごはんをつくって食べてきた一番仲良しの友人寺田に一緒に独立しようと言ったときのことは、自然の成り行きすぎてあまりよく覚えていません笑。最初は、仕事で縁のできた新潟方面に移住しようかと真剣に考えていました。でも住む場所や事務所の場所を探し始めたとき、物件をみてげんなり。せっかく田舎にいくのに、借りられる家やアパートは東京よりももっとヒドイ間取りで、せっかく自然があるのになんでこんな家に住まなきゃいけないの?と思うようなものばかり。思ったようにはいかないなあと困り果てていたころ、安曇野の家を拠点に北アルプスを歩いていて、帰りのバス停までの歩く道のりでふと、あれ?安曇野でいいじゃないか!と思いついた瞬間は今でもよく覚えています。思いついてからはトントン拍子。寺田の奥さんが長野出身ということもあって、これ以上の回答はないという結論になりました。

楽しく生きていく!が目的になった

手塚事務所7年目。病気して以来仕事を減らしてもらったおかげで最後の担当作番町教会の現場は順調で、仕事をしっかりやりながら土日はちゃんと遊べる時間と金銭的余裕ができていました。独立することを手塚さんに話し、自分も少しずつ覚悟を決めていました。同時に、なぜ人は働くんだろうとか、人生ってなんだろうとか、何を目指してこれから生きていくんだろうとか、そんなようなことを考えるようになりました。身体はとても元気になった。これからの自分に望むことはなんだろう?昔は楽しく忙しく働くことが美徳だと思っていたけれど、足を止めて以降、それは思い込みだったと気づきました。忙しいことが美徳なのではなく、楽しいことが素晴らしいのだ。楽しく生きていくことの重要性を突き詰めてる人って世の中にどれくらいいるかな?「真面目にせっせと働くべし」とは言われるけれど、「真面目に思いっきり遊ぶべし」とは世の中であまり言われていない。思いっきり遊ぶと、気持ちが明るく前向きになって、人に対して優しくできて、まわりを幸せにできるようになる。真面目に働くのはもちろん大事だけれど、そればかりやりすぎると余裕がなくなって、気持ちが沈んで、朝のラッシュの電車の中みたいな、なぜかみんなイライラ怒っているという状況が生まれる。日本人は放っておいてもみんな真面目なんだから、もっと遊んだほうがいい!たぶん!

↓ 番町教会の建築協議会。この頃にはずいぶん元気になって楽しく仕事ができました。

安曇野で楽しく生きるための準備

そんな考えで手塚事務所にいるうちにやっておこうと思ったことは、安曇野で楽しく生きていくために必要なものを揃えること。体調を崩して以来、登山にすっかりのめりこんで、ストイックにつきつめていくうち他のものにも興味が広がっていきました。一つ目はパックラフト。空気を入れて膨らます一人用のボートで、安曇野を拠点にパックラフトのツアーをやっているサニーエモーションさんとの出会いが私に山以外の世界をどわっと広げてくれました。新しいことに挑戦するのは得意ではなかったのですが、やってみたらあまりにも面白くて。安曇野で山だけでなく川遊びもできるようになったらどんなに楽しいだろう。そのためには経験と道具が絶対不可欠、手塚事務所最後の一年は、せっせとサニエモさんのツアーに通って経験を積みつつ、ボートやパドルやPFDなどの装備を吟味して揃えることに時間とお金をつぎ込んでいました。二つ目はスキー。今までなかなか本気で取り組めなかったけどずっとやりたかったことでした。スキー場にはそんなに惹かれなかったけれど、山を滑れるようになりたくて。そんな感じで冬も安曇野から白馬方面のスキー場に通いまくり、板もブーツもゲットして、楽しく遊んで生きる準備は万端!

現在、安曇野にて

そんな紆余曲折を経て、ようやく拠点を安曇野に移して、先日やっとこさホームページをつくりました。見てみていただけたら嬉しいです。仕事はまだまだ安定しませんが、土日は山に行ったり川に行ったり自転車で走ったり、楽しく過ごしています。安曇野に拠点を移しておもしろいことは、東京にいるときより人が会いにきてくれること。近くにいるときは全然会わなかったのに、安曇野という土地の豊かさもあって、みんながせっせと遊びに来てくれるのです。この嬉しさと豊かさといったら、素晴らしいとしか言いようがありません。まだまだ不安定で、この先どうなるかわかりませんが、いろいろあって今、安曇野で元気に生きているこの人生を私はとても気に入っています。これからもう少しがんばって仕事を軌道に乗せて、自分もさらに楽しく元気に生きて、まわりの人を幸せにしていけたらいいなと思います。

ものすごく長くなりましたが、ここまでがんばって読んでくださった方、本当にありがとうございます。noteにはまたちょこちょこ書いていきたいと思うので、どうぞよろしくお願いいたします。

MIGRANT代表 島田真弓
WEBSITE http://www.migrant-a.com

山・川など遊びのアーカイブ http://mountaintravellers.blog.fc2.com

↑ 安曇野での日常風景 たくさん人が来てくれるようになりました

↑ 山と川。自然とともに過ごす時間が大好きです。

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東京生まれ東京育ち、手塚建築研究所で経験を積んだあと、2018年に安曇野に移住し、設計事務所MIGRANTを設立しました。平日は北アルプスを眺めながら仕事をして、週末は山と川と自転車で、思いきり自然と戯れています。
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