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【遠い日のイタリア #1】 ヴェネツィア

ヴェネツィアを訪れた時、どうやら私は風邪をひいていた。
なんて運が悪いんだろう、せっかくはるばるイギリスからここまで来たのに。
でも今思えば、前日までのパリでの不摂生が祟ったに過ぎない。
若かりし学生時代、みんな無茶を無茶と思っていなかった。

パリからミラノ経由でヴェネツィアまで電車で移動した。ついた時は既に日が高く、ヴェネツィアは明るかった。ホテルに荷物を預け、観光しようと意気揚々と出かけたものの、体がだるく思うように動かない。美味しいものを食べるつもりだったのに、何も食べる気がしない。さっきから感じている火照りはヴェネツィアへ到着した際の気の高ぶりではなく、正真正銘熱を出したことによる火照りだったのだ。仕方がないのでその日は少し街を歩いて、リンゴをいくつかと水を一本買ってホテルに戻ることにした。思いの外早く日が暮れる気がした。アフリカ系の男性たちが、橋の近くで偽物だろうブランド品やアクセサリーを売っている。とにかく早く治さないと。ヴェネツィアにいられるのは2日だけ。無駄にすることはできなかった。

2日目もやはり熱が下がらない。といっても体温計はないから、何度くらいあったかはもちろん不明である。寒気もするから恐らく熱は上がっているだろう。でも何もせずにホテルで寝てるだけなんて死んでも嫌なので、とりあえず外へふらふらと出かけることにした。

4月のヴェネツィアは晴天。太陽の光が存分に注がれた水の都の路地を、私は寒気に震えながら闊歩した。意地でもヴェネツィアを見逃さないつもりだった。とにかく寒いので、暖かそうな服を一着買うことにした。抹茶にミルクを混ぜてすごく薄くしたような色の綿の長袖のセーターだった。これはイギリスへ戻った時、なかなかいいと褒められた。もう手元にはないけれど、それから数年ずっと冬着続けるお気に入りの1着になった。

私は思いがけず買うことになった新しいMade in Italyのセーターを着て、ヴェネツィアの駅で買った地図を片手にとにかく裏路地を歩き回った。観光地の顔をしたヴェネツィアは煌びやかだが、一歩路地へ入るとそこにはヴェネツィア人の素の生活があり、大きな水路や橋ではなく、いくつもの小さな水路に小さな橋がかかっていた。そこには実に地味で味わいのあるヴェネツィアがあった。

買った地図はホテルへ帰る時に迷わないためだったので、ほとんど見ることはなかった。目的地を作らずに歩き回っていたので、見る必要がなかったと言っても良い。
ヴェネツィアは迷路だ。
この道がどこに繋がっているか全く想像がつかない。進み続けるとそのうちに方向性が維持できなくなる。いつまでも狭い道が続いたかと思うと、ある時住宅に囲まれた広場に出る。小さなお店があったりするとほっとする。カクカクと曲がりながら道を進んでいくと、いきなり真っ青な海が現れたりもする。さっきまでは裏路地だったのに、いきなり観光客ひしめく海辺の街になる。カフェが賑わい、人々が写真を撮って騒いでいる。このギャップがたまらなく楽しかった。

ー ー ー

私の泊まっているホテルは、観光地とは真逆のエリアにある小さな個人経営のホテルだった。物静かな男性が受け付けで対応してくれた。部屋の内装はあまり覚えていないけれど、こじんまりしていたが、快適だった覚えがある。
観光地の中心からは離れていて、とても静かだった。水路の水のチャプチャプという音しか聞こえない。それにしてもいつもと異なる静けさにふと気づいた。ここは車が通らない。エンジン音がないのだ。ヴェネツィアは見た目は変わっても作られた時から夜は同じ静けさが続いてきたのだだろう。海のさざ波の音とは違う、水路の音。この発見にひとり心打たれていると、イタリア式の洗礼を受けることになる。

皆が寝静まる夜、誰かがエレキギターを鳴らし始めたのだ。もちろん防音装置などあるわけがない、イタリアの庶民の家だ。すぐ止めると思いきや、お世辞にも上手いとは言えないギター音は遠慮することなく、心地よい夜の静けさをビリビリに破り続けた。いつまで続くんだろう。そう思いながらも、普通日本ならあり得ないようなこの展開に内心おかしくて仕方がなかった。
そのうちに誰かが数人「うるさいぞ、やめろ!」のようなことを怒鳴って、それでやっとギターのナイトライブは幕を下ろした。
高校生くらいのミュージシャンを目指す男の子が、自分のギターに心酔しながら弾き散らかしているところを隣のおじさんに怒られてシュンとしている姿を私は想像した。勝手な想像だけど楽しい。

別の日はどこからともなく、男たちの歌声が聞こえてきた。何かと思って耳を済ませていると、酔っ払いの男たちが、サッカーチームか何かの歌をうたっているようだった。男たちはホテル前の道を歩きながら、陽気にずっとうたっていた。もしかしたらもう一軒いくのかもしれない。その歌声は、遠くへ去ってもいつまでも聞こえる気がした。

私の静かな水際ホテルは、普段は観光都市だということを忘れてしまうほどの静けさをもたらしつつ、こうして突然ライブ会場と化したりするので、実に面白い。高級ホテルでは経験することのできないイタリアの庶民的な空気を味わい、私は満足していた。高級ホテルなどに泊まれるはずがなかったのだけど。

ー ー ー

ヴェネツィア最後の日。ようやく風邪が治ったようだった。熱も引き、食欲も湧いてきた。最後のヴェネツィアでの食事は、せっかくなので観光地側の洒落たレストランに行くことにした。
席に座るとメニューをもらった。確か英語も併記されていた気がする。
私は大好きなスパゲッティ・アッレ・ボンゴレ・ビアンコにすることにした。アサリをにんにくと白ワインで蒸したソースでスパゲッティを和える。これが大好物だったので、どこかで絶対に食べるつもりだった。白ワインも一緒に注文した。
食事を待っている間に、隣の席にアメリカ人と思われる女性二人が座った。聞いていたら、何か簡単な、すぐ出てくるものにしましょうよ、と簡単な惣菜を選んでいた。そうこうしているうちに、私のボンゴレ・ビアンコが来た。アサリと刻まれたニンニクがオリーブオイルで艶光りするスパゲッティの上に豪快に乗り、そこにパセリが謙虚に散っていた。にんにくの香りがものすごく良く、私の2日間の果物以外ほとんど食べていない胃は、早くそれを入れろと言わんばかりにその美しい料理を欲していた。
隣の席のアメリカ人も「それ、とても美味しそうね」と話しかけてきた。でしょう、と言って私はヴェネツィアにおける最初で最後の一皿を心置きなく平らげた。これは間違いなく、今まで食べた中で一番のアサリのスパゲッティだった。

次の日の朝、フィレンツェ行きの電車に乗り、ヴェネツィアを去った。
遠くなるヴェネツィアの街を眺めながら、やはりヴェネツィアは島なんだなと思った。ポツンと海に浮かんでいる。

後日、ヴェネツィアで撮った写真で写真でいいなと思ったのは、ある小さな広場で、おばあさんが鳩に餌をやっている後ろ姿だった。恐らくパンか何かを小さくして、バッと撒いてそれに鳩が群がっていた。あとお休み中のゴンドラの写真。静かな水面に3台のゴンドラが繋がれていた。
ヴェネツィア行きの電車の中で会ったパフォーマーだという男の人には、残念ながらヴェネツィアの街では会うことができなかった。
小さなカメオのピアスを買ったけれど、あれが本物だったかどうかはわからない。

手に取ることのできる思い出はほとんど無くなってしまったけど、記憶というのは、引き出せば引き出すほど、色も形も戻ってくる。また違うヴェネツィアを思い出すかもしれないので、その時はまた別の形で。

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