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【92/1096】見ないようにしているもの

92日目。子どもの冬休みの宿題が終わらないというので、学童を休ませて家でやっていいよということにした。そういう日があってもよいなと思いました。張り切ってやっていて、ほとんど終わったらしいです。
そんな92日目です。

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普段、表現しようとしていないもの、見ないようにしているものに、目の当たりに向き合うと、オエッて感じになる。
数年前に、山田ズーニーさんの表現講座に行って、自分を表現するということに向き合ったときにそうなった。

自分の肚の底から、想いを拾ってきてそれを表現するという講座だった。
自分の甘さや、逃げたい気持ちと向き合って、正直な自分をあらわしたいと思って受けた。
なんとなく、いつも、うっすら嘘をついているような気がしていた。
嘘ではないのだけど、ほんとうのことではない、というような。
自分自身に、自分が正直になりたかった。
他の人がどうか?ではなく、ただひたすら、自分と一致したかったのだ。

しかし、その道中は道のり険しく、オエってなったり、引きこもりたくなったり、何度も何度も勇気を奮い立たせたり、涙を流しまくったり、いろいろあった。
最終的に、自分の納得感だけを大事にして、勇気を出して書いた文章をその場で発表したときも、泣いてしまった。
そのときの納得感は30%もなかったけれども、自分の中から絞り出してきたという感じだったからかもしれない。

呼吸・整体で、去年の末に、上腹部の解放という新しいワークがリリースされた。
胃の上のあたり、みぞおちのあるあたり、そこが力んでいると感情をうまく解放できずに囚われる。
感情をそのまま身体に反映させてしまう。
その力みを解放すると、不思議と感情と距離感ができることが実感できる。
もちろん、感情面だけではなくて、上腹部が力んでいると、普段の呼吸にも多大なる影響があるので、身体的にもよろしくないけれども。

その上腹部の解放のワークに、下腹部から上腹部にかけて、内臓を動かすという動作がある。
それが、いわゆる「オエっ」ってなるやつ。(本当に吐くわけではない)
この上腹部の解放を、この年末年始、飽きずにけっこうやっていた。

オエってところを通り抜けて、そこが使えるようになると、自分との一致感がすごく増すんだ!ということに気づいた。
上腹部解放されると、自己否定しなくなるなと思ってはいたのだが、自分との一致感が増すんだから、そりゃ否定はしようがないなという感じ。

ここが凝り固まっていると、年がら年中、気持ち悪くなったり、ふらっとしたり、自責がとまらないということが起きる。
しかし、解放されたら、「自分は大丈夫」感が増し増しなのである。
というか、ちょっと表現が難しいが「自分がある」状態で、ただ存在している。

そういう自分でいると、正直な自分の想いを表現するということをやるのに、そんなに七転八倒しなくて済む。
するする出てくるということではないけれども、オエってならずに済むんだなーと思う。
見ないようにしているものが、なくなるような感じ。
見えるので、ただ見ている。

見ないようにしているものが多ければ多いほど、オエーってなる。
見たくないものを見るのだから、当然か。
でも、ただ見えるから、見ている状態になれば、「見たくないもの」ではなくなるんだなあと思う。

本当に体調が悪くて、どうにもならなかったころ、
道を歩きながら、オエオエしていた。(吐いてはいないが、人と目が合ったりすると、吐き気がする)
外に出て、気持ち悪くなったらどうしようと思ったら、外に出るのが怖く、外に出ると怖いので、案の定、気持ち悪くなったのだった。
あの頃は、自分に見たくないものが大量にあった。
というよりは、自己を放棄していた。
自分を大切にする、ということを長年放棄して、セルフネグレクトしていたので、自分の安全や健康を守ることをしていなかった。
自分の感覚をセンシティブに感じるというよりは、恐怖や不安をセンシティブに感じて、それを増大させていた。
すると、世界はあっという間に灰色になった。

今は、世界はだいぶカラフルだ。
そして、自分を生きることが面白いと思う。
息をしているだけで、こんなに面白いのか!ということに気づいたことが、人生最大のギフトだなと思っている。
だから、これからも我慢しないで、息をし続けようと思う。

では、またね。



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