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Touch〜触れること

長いこと、スキンシップが苦手だった。
子どもの頃を思い出しても、あまり誰かとくっついていた記憶がなくて、手を繋いだり、体をくっつけあったりして遊ぶのも苦手だった。
今、7歳と5歳の子どもがいるのだけど、二人はよくくっつきあって、遊んでいる。
二人とも「ママ、手繋いで?」と手を繋いで歩くのが好きだ。
寝る前に、二人にマッサージ(体を撫でる)してあげると、とっても喜んでくれる。
ひとは、触ったり触られたりすると、とても安心して幸福を感じるんじゃないか?と思う。
病気や怪我をした時に、手を当ててもらうと、少し痛みが治るような気がするのは、たぶん、気のせいじゃないと思っている。

わたしがスキンシップが苦手だったのは、肌にコンプレックスがあったことも大きかった。
わたしの肌は、子どもの頃から、アトピー性皮膚炎もあり、乾燥がひどくて、魚の鱗のような肌だった。粉がふいて、ボツボツザラザラしていて、乾燥のせいで切れて血が滲んでいた。(大人になってから、魚鱗癬と言う皮膚の病気だと診断された。)
「気持ち悪い」と言われたこともなんどもあって、10代の頃は夏でも長袖しか着なかった。幸い顔には、鱗が出なかったので。その代わり、顔はニキビがひどかったけれど。
肌は見た目でわかるので、視線で拒否されるのがわかる。
10代になると、好きな異性ができたけれど、好きな人に肌を見せるのは嫌だった。嫌われるのがこわいから。
きれいで、可愛い子は、肌もきれいだった。
実際、触らせてくれる子がいて、吸い付くようなしっとりとした柔らかな肌、と言うのは実在するのだ!!!と驚いた記憶がある。ツルツルしていて触って気持ちいいと感じた。
あれが普通なのだったら、わたしの肌はおばあちゃんのように乾いていて硬いし、ザラザラだし、触って気持ちよくないのは当たり前だと思って、わたしは触ってもらえないと言うように決めつけたのかもしれない。
そういえば、親戚のおばちゃんがよく「女の子なのにかわいそうに」と言っていた。
だから、わたしは、なるべく触れないように、触れられないように、気をつけて振舞っていた。
そうすると、ひとと距離ができる。バリアーを張っているみたいと言われたこともあったけど、実際、バリアーを張っていたのだと思う。
一律に、全部遠ざけて。

30歳もすぎた頃だった。
女友達と出かけていた時、かかとが割れて痛くて歩けなかったので、近くに座って応急処置をした。
ガサガサの足を見られるのは嫌だったのだが、仕方なく。
「乾燥がひどくて、気持ち悪いかも・・・」と言って出した足をみて、彼女は「別に気持ち悪くないよ。ただ、脂が足りないだけでしょ。脂が足りてないから、脂をたっぷり塗りなよ。アブラ、惜しみなく!!」と言った。
その時、「惜しみなく?!」と衝撃を受けた。
なぜか、ずっと、わたしは自分への保湿剤を惜しんで、ケチケチ使っていたことにその時、ようやく気づいた。
子どもの頃に、なかなか保湿剤を買ってもらえず(医者になかなか行けなかった)、父親はなんでも「メンソレ(メンソレータムのこと)ぬっとけば治る」と言う人で、その頃、メンソレは刺激が強すぎて、全身に塗るのは難しく、家族で一つしかなかったので、ケチケチ使っていたのであった。
そのことが、大人になっても継続していたのである。
その頃、わたしはマンションを買って一人で住んでいたのに!
そのくらいの経済力は身につけていたのに、長年乾燥で苦しんでいる自分の肌の保湿剤をケチっているとは!!!!
そのくらい、蓋をして閉じていた。見ないようにして。

それから、ちゃんとたっぷり保湿剤を使うようになった。
そしたら、肌の状態も、だいぶ回復している(粉はふくし、ザラザラもするけど、前よりは良い状態)。
そして、子どもたちとたくさん触れ合っているし、友人たちとハグしたり、握手したりすることに抵抗がなくなった。
触れ合うことを自分に許したら、ひととの距離感もバリアーを張らずともよくなって、自分にとって、近しいひとたちを大切にすることができるようになってきた。

わたしは、呼吸・整体というのをやっているのだけれど、その呼吸の指導の時にコーチが、「触れる」ことがある。身体の使い方を調整する時に、こっちだよーって触ってもらうと、全然感覚が変わる。
コーチは、「触れると全部わかるよ」という。
触られた時に、コーチがこちらの身体をうまくいくようになんとかしよう(コントロールしよう)として触った時と、コーチはただサポートするために触った時(相手をなんとかしようとする意図を持っていない)では、ぜんぜん感覚が違った。
しかも、わたしの身体の状態も、コーチには見抜かれており、言われたことがいちいちその通り!!!ということばかりで、こんなに違いがわかるのかー!と驚いた。

触れるということは、自分のままでコミュニケーションすることってことなんだなと思う。
触れ合うことでオキシトシンが出て、幸福感がもたらされるというデータもあるそうだけど、親しいひとと触れ合うことは、安らぐし、幸せを感じるのはほんとだなと思う。
だから、自分に正直に、そのままの自分で交流できる人たちと触れ合って、幸せを感じながらコミュニケーションしていけたらいいなと思う。
触れ合う、というのは直接、身体に触るだけではなくて、一緒の空間にいて、対話したり、笑いあったり、食事をしたりすることも含まれているように思う。

わたしの肌がひとと違っていて、隠さなくちゃと思っていた時には、そういうコミュニケーションも閉じていた。表面的には取り繕えていたけれど、本当の意味で触れ合ってはいなかった。
どんなわたしでも、それを受け容れて、そのままで開いていけば、触れ合いのあるコミュニケーションができるようになるかもしれない。
あなたも、わたしも大切にする。
わたしも、あなたも大切に触れ合う。
そういうように。




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