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【841/1096】「基本」とはなにか

呼吸・整体の考案者である森田敦史先生が書いた「身体調整の基本の示唆」を読んだ。
(門下生で2年以上学んでいる人が希望すれば読めるもので、一般向けではないです。念のため。)
100ページくらいの冊子で自分なりに必死に読んだが、1週間かかってしまった。
普段、100ページの読み物を読むだけなら、こんなに時間はかからないのだが、これを読むにはそのくらいの時間が必要だった。ページ数ではなくて、情報量がすごかった。ものすごい情報量なので、それを必死に捉えた1週間であった。

基本が大事である、ということはよく言われる。
自分も基本が大事だ、と思っている。
では、その基本とは何か?ということである。

自分が基本と捉えているものは、いったい全体どこまでか?と言い換えてもいいかもしれない。

どんなことにも基本はある。
基本ばかりでは意味がないとか、基本がない、と言う人もいる。基本は定めていないという技法などもあるが、そういうものにも必ず基本はある。
なぜなら、基本は中心であり、おおもとだから。
おおもとがなく、中心のないものは、生き残らない。

「身体調整の基本の示唆」を読んで思ったのは、基本はここまで含んで基本なのだと。そして、この書に書いてあるものは、基本の全部ではなく一部なのだということである。
基本とは途轍もなく膨大で、途方もなく、果てしないものであり、自分の中心に落とし込みつづけるものなのだなと思った。
正直、ここまで言葉に落とし込んでもらって、文章として読めたから気づいたことも多々あり、自分の捉え方の甘さも痛感したけれど、そこは自分の広げられる箇所として認識することにする。学びを自分の血肉にしていかねば。
一部を知ることだけではなく、全体でどうなっているか。
その全体像をとらえよう、知ろうとすることが大事だ。

基本のない応用はないし、応用になったからと基本はいらなくなることはない。
すべての根源。みなもと。
みなもとはつながっている。
自分なりにどれだけそれをわかろうとしたか。
ひとつだけの正解はないもの。
答えのないものに、どのように自分が取り組んでいるかということが、ひとつの道筋になっていくのだなと思った。

この書は、身体調整の基本を示唆してくれているが、内容は身体調整のみにとどまらない。
人間の生きるということのすべて。
身体、感情、感覚、思考、動き、呼吸、人間関係、、、それらまるごと全部で生きている人間をどのように観るか。
今、どのように観ているのか。
呼吸・整体というメソッドが、身体のみならず、生き方そのものを変えることができるのは、基本がこのように在るからなのだと思った。
完璧はなく、矛盾をはらみ、その矛盾を内包しつつ、最善、最適を選べる自分になる。

そして、やっぱり本当にすごいと思うのは、
森田先生がこれを体現して、伝えているということである。

伝え手が体現できているということの意味。
自分が実践できているところまでしか、人には伝えられない(伝わらない)ということ。
だからと言って、できてないから伝えられない・・・ではなくて、自分が伝えられるものは伝えていきたいと言う湧いてくる想い。
自分が伝え手として、どこまでこれを体現できるのかを逃げないで向き合い続けるしかないし、それは日々更新されていくものである。
一生かかってどこに辿り着くかはわからないが、
わからなくてもやるのみである。
そこに山があるから登る、という心境である。
でも、この山は高く険しいようであるが、すごくわくわくするもので、どれだけのことがここにあるのだろうかという期待と可能性に満ちている。
それを今の自分で、今どれだけ伝えられるかを挑戦し、ひらいていくことをし続けるということだなと思っている。

この書を読んで、はたと自分がこれを伝えられるということは、ものすごく幸せなことなのではないか、と気づいた。
え?今?と思うが、そうか、自分がなぜ伝えたいのかというのは、これを知っている人生とそうでない人生は雲泥の差で、誰もが知っていて使えたらいい、人を幸せにする技術だからと思っていたが、同時に伝えられる幸せがあるんだってことだ。
自分の人生を自分で決めることができる、というのは、人間の根源的な希望だと思う。
その希望を誰かに手渡せるということ。

自分で決めるのにどこから決めるか。
思考だけでも、感情だけでも、身体だけでもなく、全部を含めた自分と言う存在の中心を感じること。
これらが、身体調整の基本に含まれている。

基本が大事であり、
基本がすべてである。

今、これを読めたことに感謝です。

では、また。

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