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【758/1096】「ころべばいいのに」を打ち消さない

ヨシタケシンスケさんの絵本に「ころべばいいのに」というのがある。

子どもたちが大好きで、何度も読み聞かせている。
モヤモヤする気持ちが湧いてきたとき、嫌いな人に「ころべばいいのに」と思う気持ち、そういうイヤな気持ちをどう扱うか?というヒントがたくさん詰まっていて、くすっと笑える面白さもある。

自分に湧いてくるイヤな気持ち、特に「そんなこと思っちゃダメ!」と理性が判断している気持ちは、自分で感じていないことにしてしまうということをしやすい。
反射的に湧いてくるものでこれをどうにかしようとしても、どうにもならないのであるが、それを何とかコントロールしようとしてしまうのが人間の性なのであろうか。

自分に湧いてくるどんな気持ちも、ただそれがあるだけであり、いいも悪いもない。
湧いてくる時点では、いいも悪いもないのである。
憲法でも、「内心の自由」を認めているし、そもそも、内心の自由を誰かに認めてもらう必要などあるのか?という疑問もわいてくる。
だってただ、自分の中に湧いてきているだけなので。

ただし、それを言動に移すときには、善悪がついてくる。
なぜなら、相手がいるから。
自分の尊厳と同じように相手の尊厳も尊重する必要がある。
それには配慮する必要があるから。

だから、「ころべばいいのに」と内心で思ったとしても、
相手にそれをそのまま言葉として伝えたら、善悪の判断をされるだろうし、それに対するなんらかの反応を受けることになる。

反射で湧いてきたものをそのまま相手にぶつけると、あまりよいことにならない。特にネガティブなことは。
これは、生きていくうえでの知恵ではないだろうか。

反射で湧いてきたものをそのまま相手にぶつけるのではなくて、自分でその湧いてきたものを処理したうえで、本当に伝えたいことを自分で言葉にする。
これは、けっこう練習がいる。
子どもの頃に、受容的で自立した大人に育てられた人は、
湧いてきたイヤな気持ちを反射で出して泣くと、
その処理をしてもらえる。
ようはいったん受け取ってもらって、それを、大事にしたかったことはこうかな?と言葉にして返してもらえるということを繰り返ししてもらっている。
そして、それを内在化させて大人になる。
しかし、それをしてもらえなかった子どもは、大人になる過程のどこかでそれを自分で自分にする必要がある。
自分でそれをしないでいる人は、湧いてきたものを反射で出し続けるわけである。これは、わりと傍迷惑この上ない状況になってしまう。

それを止めるには、湧いてくるものを自分の身体の内側で処理するということ。
湧いてきたものを、力んだり、息止めたり、そこに執着したりしないで、ただ感じる。
感じていれば、それはやがて消える。
それが自然の摂理である。

自分の中の「ころべばいいのに」を打ち消さない。
ただ感じる。
かなり不快なので、そこに執着して凝視してしまうと、身体の中からいつまでも消えない。
噛んで捨てたはずのガムがまだ残ってて、また噛みだすみたいなことをしてしまう。
だから、そういうことは一切しないで、ただ自分の身体を一周巡らせる。
それから、「ころべばいいのに」と思ったシーンを思い浮かべてみると、まったく違った景色が見える。

その練習に、呼吸が役に立ちます。
そして、この体験ができるのが、「心と身体セラピー」です。
モニターセッション(年内50名まで、メニュー料金の半額)を受けていただける方、募集中。

では、また。



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