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よろこびと、おそれ

「シェアする」のが好きだなと思う。
シェアするっていう表現がなかった時は、「教える」とか「教えてあげる」とか「知らせる」みたいな感じだったけど、今の自分の感覚だと「シェアする」がぴったりしっくりくる。

シェアしたくなるのは、
面白いものを見つけた時。
おいしいもの。
自分に役立ったもの、こと。
感動したこと、もの。
これ、いいよって感じたこと。
自分の新しい発見。
そんな感じ。

シェアすると、嬉しいんだなと気づいた。
私がよろこんでいる。
相手が受け取ってくれたかどうか?はあんまり関係なくて、
(いや、受け取ってくれたら、それはもっと嬉しいけど)
自分がシェアしたいというニーズがあるんだなと思う。

こないだ、呼吸シェアリストという認定資格をとった。
呼吸・整体という技法の一部をシェアできるようになる、というものなんだけど、認定を受けるのにグループの前で、自分のインストラクションをやってみるという試験があった。
この呼吸・整体は、自分が体験して、続けているもので、これをやったらいろんな発見があるし、もう本当にいいよ!!!って思ってて、
それをシェアしたいっ!と思って、呼吸シェアリストのクラスを受けることにした。
(シェアしたいと思った気持ちは、別のノートに書いたからそちらをどうぞ。)

同じクラスの仲間の前で、自分でやってみると、もうなんか、その時の自分がそのまんま出た。
逃げ隠れできない!という感じ。(自分は隠れているつもりが、全部ダダ漏れるというのが正しいかも)
この試験は、全員がほとんど同じインストラクション(コーチのインストラクションを完コピして、練習しているから)で、言葉もそんなに違わず、同じ手順でやってみた感じだったのだけど、一人として同じにならなかった。
シェアしてみると、自分がわかる。
みんなの前でやってみると、なんか先生モードになったり、私はわかってる人でないとみたいなことがあったり、仲間の前なのに、勝手に自分で分離してみんなから離れていったりと、それはもう忙しかった(笑)
焦ったり、間違えた!とパニクったり、時間を忘れたり、といろいろ起きる。
ただ、「今の自分でシェアする」ということをそのまんまやればいいのに、ね。
やっぱりどこかで、かっこつけたかったり、できる自分を演出したかったりするのが残ってるんだなーということもわかった。
「ちゃんとしなきゃ」おばけ。

コーチや仲間がくれるフィードバックに、
「うわーっ、全部バレてる!!!!」
っていう気持ちになった。
やばいやばいって思ったり、そうかそうかって思ったり。
できてるところ、できてないところ、次に生かすところ、良いところ、悪いところ。
自分を晒して、なんどもシェアしていくことによって、たくさんの発見があるだろうなと思った。
シェアするっていうよろこびと、隠してる自分も全部出てくるおそれが私の中にはあるんだけども、それは同時にあっていいし、それがあるから、できないってわけでもない。

ちゃんとしなきゃお化けは、いつでも出てくる。
これは合ってるか?
正しくできているか?
ちゃんとやれなければいけない。
そのことをずーっと繰り返していた時は、いつも何かに焦っているような感じだったし、だいたいいつも、「自分を責めて」いた。
ちゃんとできない私は悪くて、ちゃんと出来る誰かは正しく良いのだった。
自分を責めるループから、抜け出せなくてもがいた。
ちゃんとしなきゃお化けに取り憑かれていると、「批判」に晒され続ける。
自分のことも責めているけど、他人のことも責めている。
「正しくないことをしたら、責めていい」と思っている。
だけど、それは、本当に疲れるし、なんか、いくらやっても、どんなに頑張っても○になることがなくて、無限のループにはまっているようだった。
ずっと「だめ」を繰り返していると、ヒトは無力になると思う。
だって、何をやっても「だめ」なんだもの。やってもやらなくても同じ、と思っても仕方ないよなって思う。


だけど、何が正しいか、どうなったらちゃんとしているか、なんて、人それぞれ違っているのが当たり前で、答えは一つじゃない。
答えがないのに、答えを探しているから、ずっと探し続ける羽目になったんだなと思う。
私が正しいと思うことをしていい。あなたも正しいと思うことをしていい。
私とあなたの正しいが違ってもいい。
「誰のせいだろう?」と犯人探しをしなくていい。
そんな風に少しずつ、ちゃんとしなきゃお化けから離れるようにした。
自分を責める代わりに、「私は何に対して責任を持てばいいか?」「どこまでが私が選択できる範囲か?」と境界線を意識するようにした。
自分が責任を持てないと線を引いた先のことも気になるし、そこから声(だいたい批判的な声!)がすると反応もするけれど、そこをなんとかしようとすることはできないんだ、ということを理解していった。
もちろん、まだまだ、私の中の「ちゃんとしなきゃお化け」は健在で、時に暴れそうになることもある。
だけど、「ちゃんとしなきゃお化け」をいないものにしないで、自分の中に一緒にいる人として、受け入れている。
ずっと頑張ってきたから、そこにいていいよって感じ。

よろこびと、おそれ。
全く別のもののようだけれど、私の中に、一緒にある。
振り返ってみれば、いつも一緒にいたような気がする。
そんな感じで、やってみよう!


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