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【305/1096】オープンでフラットとはなんだ?

305日目。今日は、呼吸のオープンクラス「トータルコンディショニングと自然呼吸」で始まる。初めての方がいらしてくれて「新しい体験でした」と感想をいただく。毎回、新しい体験なので、何度でも体験してもらいたい。


今日は、朝、オープン講座をして、午後「性トラウマ」の支援者向け上級クラスを受講し、終わった後に子どもの送迎をして、書道教室に向かった。
この後、夜にも講座をやる。
なかなかハードスケジュール。

今、性トラウマの学びを総ざらいしているのだけれど、ここの分野は新しい概念が次々と出てきているので、学びを丁寧にする必要があるなと思っている。

ハーマンの「心的外傷と回復」と言う本は、99年の本だが、いまだに色あせない。
(また、中井先生の翻訳が素晴らしい。)

第一章の冒頭に

「中立は倫理的にはありえない」
心的外傷を研究することは、自然界における人間のもろさはかなさを目をそむけずに見つめることであると同時に、人間の本性の中にある、悪をやってのける力と対決することである。心的外傷の研究は、身の毛のよだつような恐ろしい事件の証言者となることである。事件が天災すなわち「神の仕わざ」であるときには、証言者は被害者に素直に同情することができる。しかし、人災の場合には、証言者は被害者と迫害者との争いの中に巻き込まれる。この争いの中で中立的位置を維持することは倫理的に不可能である。第三者はどちらかの側に立つようにさせられてしまう。
加害者の側に立つことは楽であり、そうなってしまいがちでる。加害者は、第三者に何も手出しをしないでくれというだけである。

「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン

とある。

信田さよ子先生も、「言葉を失ったあとで」の中で、中立は加害者よりになることだと言っていた。
(ほかの著書や講演などでも繰り返し、どの立場をとるかの責任について言及されている)


「オープンでフラットでいる」ということについて、ずっと考えている。
そして、私は、いつもどこに立つのか?を自分に問うている。

では、またね。


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