【821/1096】揺らがないもの
このたび石川県能登地方を震源とする大規模な地震により、お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
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元日に能登半島で起きた地震は、お正月気分を一掃する出来事だった。
私や家族がいた場所は、地震の揺れもなく、安全が確保されていたので、テレビで地震のニュースを見ていた。
NHKのアナウンサーが逃げるように指示を繰り返しだしていた。地震警報が鳴る音がテレビから断続的に聞こえるし、津波警報が出て、東日本大震災を思い起こさせた。
大人たちの不安感が色濃くなって、その場を覆っていた。
そのとき、子どもが言った。
「このニュースはもう見たくないから、テレビを消してほしい」
子どもの祖母は、一瞬なにを言われているかわからないようだったが、子どもがもう一度リクエストすると、子どものいる場所でニュースを見なくてもいいと消してくれた。
自分のことをよく知っているなと感心する。
自分の安全を優先にするすべを知っていて、それを実行できるのがいいと思った。
私自身が子どもの時は、このようなことは言えなかった。
下の子は、すこしお腹がまるくなってきているのを、本人も気にしている。
が、たくさん食べるのはいいことなんだよ!という気持ちもあるようで、食べるときは気持ちよく食べているので、まあいいかと思っているが、時に食べすぎだと思うときは止めたりしている。
あるとき、父親と一緒に買い物に行って、帰り道にお腹がふくらんでいることをからかわれた。
「外にいるときには、そういうことを言わないで」
ときっぱりリクエストしたという。
帰ってきてからその話を聞くと、
「そりゃ、パパは恥ずかしくなくて面白いから言うのはわかるけど、外にいるときは僕は恥ずかしいから言ってほしくない。」
と言うので、ここでもやはり、自分のことをよく知っているなと感心する。
ちなみに、「デブ」と言う言葉を使ってほしくないというのもきちんと伝えてきた。「ふとっちょ」ならいいらしい。かわいらしいからだそうだ。
自分のしてほしくないことを、自分のこととして言うというのはすごいことだなと思う。
自分のしてほしいことをちゃんと伝えられるというのも自分がわかっていないとできない。
自分が子どもの時は、人の顔色ばかりを窺っている子どもだったので、リクエストするときも人の言葉を使っていたのだなとふと気づいた。
人から何を言われても、揺らがないものを持っている。
もちろんそれだけではなくて、日々は、人に言われて落ち込んだり泣いたりわめいたりしながら暮らしているけれど、ちゃんと揺らがないものを築いているのだなと思った。
子どもから教わることは、いつも尊くありがたい。
では、また。
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