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おめでとう

今日は、成人の日。
晴れ着姿の20歳の若者が、街を歩いているのを見かけた。
お天気もよくて、晴れ晴れとした顔をしているのを見ると、全然知らない人でも嬉しく思う。
成人、おめでとう。

「おめでとう」、を使うときに、自分の感覚が変わったなと感じる。
うまく言語化できるかわからないのだけど、今日、そう感じたので、書いてみる。

子どもが箸を使って麺を掴めた。
まだうまく箸を使えなくて、四苦八苦しているのだけど、
上手に掴んで、口に運んで食べることができた。
思わず、
「おめでとう」
と口をついて出た。
よかったね、でも、
上手ね、でも、
よくできました、でもなく。
「おめでとう」とただ純粋に一緒によろこんだ。
お祝いした。

以前は、こんなに純粋な「おめでとう」は出てこなかった。
わたしの「おめでとう」には、うっすらといつも、羨ましいがくっついていたと思う。
嫉妬がついてることも多かったし、
妬ましさ、憎らしさがついてることもあった。
頑張ったね!という「おめでとう」や、
やったね!という「おめでとう」もあったけど、
なんというか、そういう時には、「おめでとう」を使う、という場面だから使っていたなと思う。
会社勤めの時に、上司が昇進したときには、もちろん、
「おめでとうございます」
と挨拶したが、純粋なよろこびで出てきたことはなかった。
出世したんだからその分、今ある課題をなんとかしてくれと思ってた。

こうして書いてみると、わたしの過去の「おめでとう」には、
上下関係というか、どっちが上かをジャッジしているエネルギーがまとわりついていたなと気づく。
そう思うと、なんだかちょっとさみしくて、悲しい上に、斜めの方向に頑張っていたなあ・・・と思う。

わたしの成人式は、晴れがましいものではなかった。
高校生の頃に引っ越して、住んでいる市が変わったので、住所地には地元の友人というのがいなかった。
誰も知っている人のいない成人式に参加するのは、20歳には地獄のように思えた。みんな仲間内で盛り上がっているに違いないのに、一人ポツンと晴れ着を着るなんて耐えられない。
だから、成人式には出席しないことにしていた。
振袖を誂えてもらえるほどの財力を親が持ち合わせていなかった。
わたしも自分の学費を払うのも精一杯なのに、自分で振袖を用意したりすることはまったく考えられなかった。
だからちょうどいいと思っていた。

ところが、その頃、周りにいた友人たちが、みんな振袖を着て、写真を撮ると言い始め、雑誌などで晴れ着を見ながら、楽しそうに話していた。
それはとても羨ましかった。
羨ましかったけど、羨ましくないふりをした。

成人式に晴れ着を着ないと知った中学の同級生が、当日、式に参加しなくてもいいから式典の場所に来なよ、と誘ってくれた。
「みんな来るから、懐かしいじゃん。車運転できるなら、車出して」と。
声をかけてもらって嬉しく、役に立てることがあることも嬉しく、行くことにしたのだった。
しかし、これはかなり失敗だった。
というのも、いまだに苦い思い出だから。
当日は雪混じりの雨で、ものすごく寒く、免許取り立てのわたしには運転しづらい日で、まず、これで、両親の怒りを買った。
なんとか車で式典には行ったものの、他の子はみんな晴れ着をきて華やかに着飾ってる中、ジーパンにセーターの姿はいつも以上にみすぼらしく感じた。完全な作り笑いで顔を凍らせて、話も盛り上がらず、なぜわたしはここに来ることにしたのか?と思っていた。
その上、やったことは、アッシーだった。
(アッシーとはもう死語だろうけど、車を持ってる男性を移動の手段に都合よく使う女性がいて、車の運転して、自分の行きたいところに移動してくれるタクシーがわりの人のことをそう呼んでいた時代がある。車出してくれる便利な人のことをそう呼んだ。なんかこの呼び方自体も、相当ひどい・・・)
晴れ着を着て、普段履きなれない草履で、しかも、悪天候。
歩くのは難しく、会場から駅までなんども往復して送り迎えする羽目になった。本当に何をやっていたのだろうか?と思う。
なんと都合よく扱われたのだろう。
「おめでとう」とすれ違う人にも言われまくっている友人たちを尻目に、わたしは目にもとめられなかった。
あの時、やっぱり、悲しかった。
わたしも同じ成人なのに。
おめでとうって言われていいのに。
そんな風に思っていたのだ。
だから、そのあと、ちょっと妬みや嫉み、憎らしさ、自分を大事にしなかったことへの後悔などが綯い交ぜになって、
「おめでとう」がひねくれたのかもしれない。

そういう憑き物が、だんだん剥がれ落ちていって、
自分で自分を祝福することができるようになって、
初めて、人に祝福が贈れるようになったのだと思う。
過去の憑き物が一切付いていない「おめでとう」は、
軽やかで、温かく、芯があって、尊い。
そんな感じだ。

これからは惜しみなく、おめでとうと言祝ぎたい。
形式ではなく。

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