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すんたろすさんをご紹介♪からの〜津軽の夏の思い出話

何年か前に面白くてよく観ていた
すんたろすさんの動画が久しぶりに上がって来ました。

時代が変わって来た事を実感しました。AIはどうも好きになれませんが。

昔観て気に入ってた動画↓


ところで、私の配偶者は津軽人です。
初めて実家に行った時、集まった親戚の皆さんが、私の存在など忘れているかのように、津軽弁でこのような↑会話を繰り広げていました。

そこは、もはや外国でした…
…98%、何を言ってるか理解できませんでした。
何か質問されても、夫に通訳してもらわないと理解できず、終始ぽかーんとしていましたw

若い人は、私がわかるように話をしてくれるのですが、私より年齢が高い皆さんはどうしてもそれが出来ないらしく。
ほぼちんぷんかんぷん。

ほぼ都会wで育った私にはカルチャーショックなことが多く、苦手なこともあったけれど、
初めて触れた農家の食卓風景(砂糖入りのお赤飯が出て来ました!)や、山に囲まれたのどかな暮らしは
都会の喧騒から逃れたユートピアのようでもありました。

みんな早寝早起きで、21時には茶の間から人が消え、4時頃から皆ぺちゃくちゃお喋りをしていました(遅寝遅起きの私には辛かった)午後は皆さんお昼寝してました^^

お墓参りにもびっくり仰天。
お墓はすぐ近くにあり、親族は大量の供物ややかんに入れた水や庭から摘んできたお花を持ち、鐘を叩きながらお墓まで歩いて行きます。

お墓に着くと、お墓の周りにぐるりと線香を立て、ハスの葉っぱにご馳走を載せ、手を合わせてからまた津軽弁で会話をしながらw皆でそれを食べるのです。

このお墓参りは必ず8月13日に行うことが決まっており(絶対です)街なかの商店もお墓参りのために午後は店を閉めます。家を出て嫁いだ者は、14日に実家へ来て自分のご先祖様のお墓参りをする。
だから私たちは必ず12日に行って14日に帰る(14日に大量に人が押し寄せる!のです)。
8月のお盆はそういうしきたりになっており、義姉からは「毎年来ねばマイネ」という呪いの言葉を浴びせられ(笑)
息子たちが高校生頃までは毎年行っていましたが、この、津軽弁には本当に慣れませんでした。

長男が生まれて2ヶ月頃に10人くらいで泊まりに来るという話が舞い込んで来た時は泣きながら抵抗し、結局4人(両親、義兄とその娘)で息子を見にやって来て1晩泊まっていきました。
当時まだ紙おむつが一般的ではなく(売ってはいたけれど母の指導で最初は布おむつを使っていた)バケツに溜めたオムツを手洗いしたり授乳中でもあったので、たったひと晩といえど私には苦行だった。

しかし、、
あの時の4人のうち3人はもうこの世にいません。
こうして振り返れば、今では懐かしい思い出です。

随分と時が経ったのだなぁ。
なんだか夢の中の出来事だったみたい。

夫の実家へは、高速道路を使っても5時間弱。電車だともっと大変だし義両親が亡くなり息子たちも大きくなって、申し訳ないけれど行かなくなってしまいました。(夫はたま〜に行ってます)
あんなに賑わっていた実家に、今はポツンと1人、義姉(亡くなった義兄のお嫁さん)が住んでいます。

✳︎✳︎✳︎

すんたろすさんの動画を観て思い出した、懐かしい津軽のお話でした。

夫は初任地が横浜だったので、必死で標準語を習得し、完璧なバイリンガルへと成長を遂げました(笑)

ここまでお読み頂き
ありがとうございました❤︎

へば~👋