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ただ寂しい。さいか屋の閉店

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なんとも言えぬ寂しさがわいてくる。
生まれたときからあった「さいか屋 横須賀店」が閉店する。

生まれた時からあって、いろんな事があった。
ちょっとよそ行きの服着て
大食堂でお子様ランチ食べるのが楽しみだった。

いろんな思い出が詰まっている、さいか屋

1階の雑貨売場で叔母に買ってもらったペンダント
就職祝いに買ってもらった万年筆
思い出すなぁ。

さいか屋に行けば何でもあったなぁ。
あのころ。

横須賀では、なにかと言えば、さいか屋。
お祝いを買うのも、お返しを買うのも
さいか屋だった。

母が亡くなった時に整理をしていたら、押し入れから、さいか屋の歴代の包装紙や紙袋が山の様に出て来た。

○の中に「サ」の文字
懐かしかった。
こんな包装紙もあったよな。

写真を撮ってから捨てれば良かった。
と、今は悔やむ

横須賀に住んでいたときのさいか屋は
全盛期で本館、新館、南館とあった。
南館、グルメ館m同窓会も開いたなぁ

いつからかなぁ。
そうでなくなったのは。

さいか屋は、来た道を返す様に、本館が駐車場になり
南館はさいか屋でなくなり

久々に前を通った時に、駐車場になった跡地をみて、寂しかった。
私の頭の中には、昔の本館の姿が思い浮かんでいた。

子どもの頃の救世主の募金が怖かったなぁ
あの前を通り通りたくなかった。

昭和30年代は、まだまだ発展途上の日本だった。


さいか屋まんじゅうも、久しくたべていないけど。
小泉進次郎氏の初入閣の時は
進次郎まんじゅうを買うのに、人が並んでいた。

私はもう何年も行ってない
横須賀を出て25年
その間に何度行ったかなぁ

寂しいね
ただ寂しい

あの頃に一緒にさいか屋に行っていた。
肉親はもう誰もいない。
私一人になったよ。

本当にいないね。
いつの間にかいないね。

さいか屋閉店で、私の頭の中にはいろんな思い出がわいている。
走馬灯の様にわいてくる。

屋上に遊園地もあった
父と行った事を思い出すなぁ。
母が買い物をしていたときに、待っていたのかなぁ。
私はあのとき、なんで泣いていたんだろう。

大食堂のテーブルは、相席が当たり前
そこでそんなモノを食べているか、みるのが私は楽しかったが、母に叱られる。
キョロキョロするんじゃない!

お子様ランチの旗とかね。
懐かしいね。

やっぱり思い出すのは食べる事か


自粛が解除されたら、カルチャーセンターも再開されるから、カルチャーセンターの帰りには寄ってみよう。



って、カルチャーセンターはどうなるんだろう。

拙い記事を最後までお読みくださりありがとうございます。 お時間ありがとうございました。 まだまだnoteがなんであるかわかりませんが、楽しく書いていきますので、今後も宜しくお願いします