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私の問題は私が引き受ける

noteを始めてから、アダルトチルドレン関係の記事を良く目にするようになりました。
多分、私はアダルトチルドレンに近い問題を持っているかな、と思います。

小さいころは、母の愚痴の聞き相手で、大好きな父親の愚痴をずっと聞いていました。
今でこそ父親のことが好きだとはっきり思うし、言えるけど、昔は、父を尊敬したり好きであってはいけない、と思っていました。

しばらく前にカウンセリングを受けているなかで、突然そのことが思い出されました。そして、母親が父の愚痴を言うたびに、自分の半分が否定されているようで、ずっと悲しかったことを思い出しました。

母親に気に入られたくて、母が決めた「これしなきゃ恥ずかしい」「そんなことは思っちゃいけない」という言葉を真に受けていて、そこから抜け出せずにいました。

叱られるときは、言い返したくても、言い返せないくらいに一方的に言われて、違う!って言いたいけど言えなくて悔しくて泣いてしまって、ますます言えず、一方的に決められて、終わり。

私の気持ちは、どこにもない。
私は、どこにもいない。

今だから、その頃感じていたものが言語にできるものの、当時はやり場のない怒りをずっと抱えていました。
そして、自分がどうなってもいい、と思うようになり、よく死ぬ妄想をして泣いて、を繰り返していて、もう思考のクセになってしまっています。

でも、そのすべての出来事が、今の自分を作っていて、こんな自分だから、今、そんな私を理解しようとして一緒にいてくれるパートナーにも出会えて、人間を理解しようといろんな経験をさせてもらえています。

まだ全部を許せているわけではないけど、もう、母に執着して母のせいにするのはやめよう、この問題は、私が引き受ける。
彼女は彼女なりに愛してくれてはいて、それが私が望んでいるものとは違って、その時の私は自分が何を望んでいるかもわからなかった、ただ、それだけ。

もちろん、素晴らしい両親のもとで自己肯定感を育まれた人をみると、うらやましいと思わないわけじゃありません。そうやって生まれていたら、どんなに違う人生があったんだろう、と思います。

でも、そんな人にはきっと分からない気持ちが、少しはわかる、そういうものを自分は持っているんだ、と思うことはできる。

してもらえなかったことに、執着しない。
私は、私であるだけで素晴らしい。
今日生きていることが、素晴らしい。
かわいい私が素晴らしい。
わがままな私が素晴らしい。
感情的な私が素晴らしい。

そんな私が、私だ。私が大好きだ。

最後まで読んでくださってありがとうございます。
私が、私を向いて進んでゆけますように。

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