ワンオペ育児と家庭での役割
ワンオペとはワンオペレーションの略。 元々は人手不足のレストランやお店を、1人の従業員で作業を回していることを指してるものだった。
いつからかママ・パパが「ひとりでする育児」をさす言葉に使われるようになった訳だけれど、あまり良い意味で使われているのは見かけない。
旦那さんの愚痴を書いてると、育児をされてるお父さんからスキを頂くことがあって、そういうかたの記事を読みにいくと「すごすぎる!」といつも思う。
でも実は私は古い人間だから「家事育児は妻母」でいいと思っている。別に良妻賢母になりたいとか、それを崇拝しているとか目指しているわけではない。その家のシステムの問題だと思っている。
これだけ世間が女性が外で働くということに積極的になって、男性の家庭参加を促している時代に、なんて時代錯誤なと思われるのは承知だが、ちょっと思うところを書いてみたい。
家庭をひとつの会社のようなものと考えたときに、どうしても経理業務、総務業務、寮も兼ねていると思えば炊事、洗濯、掃除などの家事も発生する。もちろん収入を得て還元する(より良い生活を求める、老後の備えをするなど)ために営業や製造などを担う直接的な収入経路も必要だ。そして新入社員(子ども)も参入するのだから、育成するための費用も人手も必要になる。
で、ヒトには性があり、性による向き不向き(それがたとえ後天的に備わったものであったとしても)は存在する。どんなに家庭環境がとか、個人差がとか言っても、いまの40才代以上なら帰国子女でもない限り「男の子は一家を背負う」などと言われて育てられているだろう。
私の旦那さんも、友人の男性たちも、なんなら30代の友人でさえ「妻子を養うのは自分」という意識と責任感を持っている。ということは、当該年代の女性にも「養ってもらう」気持ちはあるのだ。
まず、それが前提にある。
そして、ヒトの能力には限界があるし、使える時間にも限りがある。1日24時間のうち7時間を睡眠、食事に30分、入浴や洗面などの清潔などに1時間、化粧やその他身嗜みに30分~1時間、情報収集にも幾何かの時間を使うとする。有意に使える時間はせいぜい半分「12時間」あればいい方だろう。
そのなかで会社(家庭)のために何ができるのか?
いろんなことをやろうと思ったら、それを学習する時間が必要になってくる。ならば、習熟度のすでに上がっているものに繋がるものを学習していく方が効率がいい。
簡単に言えば、結婚したときにすでに習熟度の上がっている技能を家庭内での役割として受け持てば、余暇も生まれ、精神的に追い詰められることも少なくて済む。
うちの場合、料理や洗濯のできない旦那さんに、一から教えて私と同じくらいにできるようになれと言うのは、ダブルワークしてくれと言うよりももっとキツイ注文だと思う。
それは、私にしても同様で「旦那さん並みに稼いでこい」と言われれば無理な相談だ。たとえ家事育児を一切しなくてもいいと言われたとしても、神経は磨り減り毎日イライラして過ごすことになるだろう。
私はこの家の総務、経理、寮母、新人研修を担っている。旦那さんは、直接的収入部分を担う。足りなければ残業も積極的にする。投資も担当していて資産を増やすことを考えている。子どもは新人なのでいろいろ教えてもらって社会に出るための準備をしている。
私が家のことをやるから、旦那さんはお金を稼ぐことに集中できる。余暇もとれる。逆もまた然り。旦那さんが稼いできてくれるから、私は家のことに専念できる。もちろん専念といえども社内会議や連絡会というものはあり、要所では報連相を欠かすことはない。
などというと「愛情は?」とよく聞かれるのだが、それはもちろんある。お互いへの感謝とともにそれは存在していると思っている。そういう主婦であることに誇りもある。
働いて家事もやっている女性を否定するわけではない。それはそれで「すごい」と思っているし、私にはそんなパワーはないと自覚もしている。家事育児に積極的なよその旦那さんを羨ましいと思わないわけでもない。ただ、生きてきた時代や社会が違うんだなぁと思うだけだ。
自分が女であることで閉ざされてしまった道はたくさんあった。それに全く未練がないといえば嘘になるが、閉ざされてしまった道をいこうと思えば、おそらく家庭は望めなかっただろう。大学の就職活動で「面接では結婚するとは言わないように」と進路指導に言われて就職活動をやめた。私はそんなに器用なヒトではない。私にとっては、何かを選ぶということは何かを捨てるということと同じだった。
知り合いの20代の奥さんが「洗い物は旦那さんの仕事だから」とか言うのを聞くと、役割分担のやり方もいろいろあるなぁと思う。共働きのその家では家事そのものを細かく分けて分担しているのだそうだ。
そういう分担の方法にした方が良かったとは一概には言えないと思うが、うちのような役割分担をしていると、ワンオペといわれる育児以外にも家庭内でひとりでやらなければならないことは多い。けっこう危険な綱渡りだったかもしれない。
どんなに体調がわるくても「誰もやってくれないから私がやるしかない」と思って半泣きになりながらやってきたことも多い。それは私だけではなく、旦那さんだって同じだ。誰も自分の代わりはしてくれないから、一生懸命働いてきたのだ。
一般の会社だと誰か一人がいなくなっても、大抵はすぐに元通りの業務に戻ることができる。でも家庭という場はそうじゃない。誰か一人が倒れたら、そこで「生活」が変わってしまうのだ。その重責はずっと旦那さんに重く大きくのし掛かっていただろうと思う。
それが理解できるから、旦那さんにはなるべく負担をかけたくない。なによりもいつも笑顔で出迎えたいと思う。体を気遣い、気持ちを気遣い、心身ともに健康で、いつかその重責から放たれたときには「大変だったよね。ありがとう」と心から言いたい。
それでもまぁ細かい愚痴はいろいろある。スマホゲームやりすぎとか。ご飯の好き嫌い多すぎとか。言葉少なすぎとか。
そんな愚痴もイライラも呑み込んで、にっこり笑える精神の強さが私にはまだないから、旦那さんもその都度大変だ。
今日は父の日だ。旦那さんの好きなお肉を焼こうと思う。
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