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合コン放浪記

人生のうちでもっとも遊びまくった時期というのが誰にでもあると思う。「やだ、わたしはずっとまじめだったわ。」「こういうタイプの人とは話したくないわね」「そもそも学校というのは勉強しに行くものよ」
いろいろな意見があると思うけれど、遊びまくらなくとも、将来について深く考えたり、損得を考えて行動したり、ましてや老後の年金受給の不安など微塵も考えなかった時代が必ずあったはずだ。
わたしの大学生時代がそれだった。

東海地方の片田舎の高校から大都会東京の大学に進学し、これから東京での学生生活を楽しもう!という期待で膨らんだ胸は、まず大学の学生寮選抜落選という結果で少ししぼんだ。同じ大学出身で既に東京で社会人生活をしている姉から「あれは成績順だよ」とにわかに信じがたい説明を受けたが、落ちてしまったものは仕方がない。わたしはその姉と二人暮らしをすることになった。
東京の大学とはいえ23区外にあるため、通学には中央線の立川または八王子、高尾行に乗る必要があった。しかも姉の強い願望で西荻窪に住んだため、各駅停車しか止まらない。したがって最初から黄色い電車に乗るか、途中でオレンジ色に乗り換えて早く到着するようにするかの2択だったが、その先に西武線に乗り継ぐという面倒くさい通学だったため、結局いつも行きは黄色い電車、帰りは駅にやって来た東京行きの電車に乗って、もしもオレンジ色なら三鷹で黄色に乗り換えていたような気がする。


【相模湖ピクニックランド バスハイク】
学生生活の始まりは近くの大学との合同ハイキングだった。(この時点で勉強のことは頭にない)大学生協主催で、バス16台くらい連ねて相模湖ピクニックランドに向かった。わたしの大学は女子大だったので、女子だらけのバスと近くの大学の男子だらけのバスが駐車場に止まり、お互いに窓ガラス越しに相手を眺める。


「皆さんは、Pクラスと一緒にハイキングします」

生協の職員さんの発する言葉を聞いて、わたしの周りはわたしも含めて「Pクラス」の乗っているバスを見る。向こうも同じような説明を受けているんだろう。バッチリ目が合うと「あ~あ」というような表情をする失礼な奴もいた。こっちだって「あ~あ」だわ。
そしてバスから降りると、「では自由にハイキングしてください」などと言われ、一応バスの中でのリーダーらしき男女が先頭を歩き、草むらのようなところまで移動する。


「みんなで鬼ごっこしましょう」


今思うと、この時点で反乱を起こしておけばよかったのだ。18歳過ぎた男女が何が楽しくて、この起伏ある丘で鬼ごっこをしないといけないのだ。しかし、「彼氏、彼女が欲しい」欲求の塊集団は誰一人反乱を起こすこともなく鬼ごっこを開始した。
どう見ても捕まりたくて仕方がない女子のおふざけ走りと、気に入った子ばかり追いかける男子の集団の中で、なぜかがぜん「この鬼ごっこで勝ってみたい」と意気込んでしまったわたしは、ひとりその丘を全速力で逃げ回った。もちろん誰も真剣に追いかけて来ないどころか、みんなの視界から消えてしまったかもしれない。ここは少しおふざけ走りに変えようかと思ったその瞬間、石につまづいてしまい、見事に芝生の上に転がった。

「大丈夫?」

かなり遠くの方から同じグループの男女が駆け寄ってくる。新品のストッキングは破れ、バスハイク用に西友で購入したハーフパンツは泥で汚れていた。


「だって真剣に走るんだもん」

育ちのよさそうな男子大学生が、優しい言葉のつもりか声を掛ける。
だって「鬼ごっこ」って真剣にやるもんでしょう!!!   

●彼氏できず


【医大生と六本木】
東京の高校出身の同じゼミの女子学生が某医大との合コン話を持ってきた。

「高校で同じクラスだった子だけど、その子はかっこよくないよ」


その説明通り、その子はかっこよくなかったが、待ち合わせ場所が「六本木 アマンド前」であった。(どうやって行ったのか覚えていない)それだけでちょっと気分が上がる。さらにメンバーはそこそこのルックスで口から出す言葉の端々に「お金」の臭いがした。そしてわたしが今まで聞いたことのないような話をする。


「今度の夏休みは、サーフィンをしにハワイに行くんだよ」


「こいつ大学合格祝いに高円寺の駅前にマンションを買ってもらったんだぜ」


「今度はBMWが欲しいなあ」


は?何の話をしているのだろう。サーフィンって太平洋ロングビーチでできるじゃん。ハワイって飛行機で行くんじゃないの?まだ国内線すら乗ったことない。マンション?BMWって外車のことだよね?
しかしこういう時も可愛い女子は人気が出る。するとすかさず

「この子って彼氏いるのよね」

と誰かが横槍を入れる。そうだ、それこそわたしが今言いたかったことだ。一次会は六本木、二次会は池袋のスナック?のような場所だったが、すっかり酔っぱらっていて覚えていない。例の可愛い女子もかなり酔いが回ってカウンターの上のカクテルのグラスをすべて倒した後

「あら~、倒しちゃったわ」


などと言うし、それを聞いている周りのだれもがへらへら笑っている。お店の人は大そう迷惑な団体だと思ったに違いない。
一応お開きになり、それぞれ男子が一人付き添って家に帰ることになった。わたしは例のハワイサーフィン男だった。なんでも不動産会社の息子で、叔父さんが歯科医だと言うどうでもいい情報を耳にしながら、西荻窪まで着き、そして住んでいたアパートまで送ってくれた。

「部屋の中まで送ろうか?」

「ひとりで歩けるから大丈夫」

この毅然たる態度で危険を交わし、サーフィン男にバイバイした。本当にそれがバイバイだった。  

 ●彼氏できず


【国分寺の居酒屋】
例のバスハイクをした大学の1,2学年の校舎はサークルを合同で行っているほど近くに存在したので、今度はPクラスではなくMクラスと合コンをすることになった。いよいよ居酒屋デビューである。
「酒蔵」という地下に続く階段を下りていく店で行われたが、長いテーブルに男女交互に座るという、まるで自治会の話し合いのような状態だった。バスハイクのPクラスだった男子が一人いて

「キミ、大丈夫だった?」


とまた尋ねてくる。こっちは一晩寝たらすっかり忘れたい苦い経験なのにデリカシーのない奴だ。ちなみにちょっと別件でこの男子の家に電話を掛けることがあったが、彼は相当なおぼっちゃまらしく電話口に出た母親がわたしの素性を根掘り葉掘り聞いたあげく、ようやく電話を替わった彼は、全く他人行儀の表情の出ない声を出していた。携帯電話がなく固定電話だった時代を経験した人ならきっとわかるだろう。親の前では「彼女なんて全然作りません。僕はしっかり勉強しています」とふるまうタイプらしい。有名な中高一貫校の出身とも聞いていた。
さてこの自治会の話し合いテーブルで目当ての子の隣に座れる確率は限りなく低い。したがって、時間が経ってあちこちでトイレに行くために席を立つ人が出てきたら席替えのチャンスである。遠くの方で最初からイケメンがいたので、その隣が空いたらビール瓶を持って行ってみようと思っていた。

お、チャンス到来!人がひしめき合う和室の隅を通りビール瓶とグラスを持って前に進んでいくと、


「ねえ、ここに座りなよ」

などと言われてしまう。その頃には最初の席順は崩れていて、みんな好き勝手に座って思い思いの話をしている。とりあえずそこに座って...あ~あ、お目当ての場所には違う女子が座っちゃった。次のチャンスを伺いつつ、顔も覚えたくない相手と簡単な自己紹介などをしたような気がする。少しするとそこになんとお目当ての男子が、やっぱりビール瓶を持ってくるではないか。もう、天にも昇る思いになり、崩した足を座り直し、よそ行きの言葉遣いをする。こんな席で「だら」「だに」「だもんで」などは禁句である。「でしょう」「よね」「だから~」と地元の同級生がいたら絶対に「キモイ」と言われる言葉遣いで話しつつ、彼は一浪して志望校に合格した九州出身の子だという情報を入手する。ご丁寧にも予備校のパンフの「合格者の声」に載ったことを、その実物をかばんから出して見せながら教えてくれる。そうこうするうちに「今度映画に行こうか」という話になった。きゃー!これこそわたしが夢に見ていた展開だわ。ということでその日は国分寺の店で解散し、中央線で東小金井と三鷹に帰る人たちと一緒に上り列車に乗り込んだ。彼は阿佐ヶ谷の6畳一間の間借り生活で、電話は呼び出しだと言う。それでも電話番号を交換し、映画の約束の日も決めてわたしは西荻窪で下車した。


次の日曜日、新宿で待ち合わせ、彼と当時劇場で公開されていた「アニー・ホール」を観に行った。雑誌「スクリーン」では絶賛されていたその映画は、わたしには少しも理解できず、彼も全然面白くなかったようだ。
ウディ・アレンの映画はこれ以降どれも嫌いで一切見ていないが、「アリスのままで」だけを見て、やはりこの監督の映画は嫌いと再認識している。そして映画の最中に手を握る...なんて漫画のような出来事もなく、映画が終わると、彼の出身である九州博多ラーメンの店に連れて行かれ、ウルトラ早いスピードでラーメンを食べて(わたしは半分も食べ終えていない)無言のまま中央線に乗り、彼は阿佐ヶ谷で降りて行った。当然次の約束をする事もなかった。   

彼氏できかけたができず〇後●


【ゴキブリの研究】
一番最後に合コンを経験したのは3年生の終わりで、天下の東大大学院生とだった。誰の紹介だったのか全然覚えていない。場所は当然新宿で、今はすっかり様変わりして絶対に道に迷うこと間違いなしだけれど、当時は東口からささっと飲み屋街まで歩いて行けた。待ち合わせの場所は薄暗い安い居酒屋で、既に席に座っている男子学生たちは、どうひいき目に見ても「ステキ」の「ス」の字も言うことができない人の集まりである。とりあえず合コン座りして隣の学生と簡単な自己紹介をすると、彼は生物を専攻し、今は大学院で「ゴキブリ」を研究しているという。どれも美味しくない焼き鳥やおでんや和え物を前に、延々とゴキブリについて語る人と気が合う人がいるだろうか。その合コンは、一緒に参加した同級生も気分を害したらしく、珍しく一次会で解散となった。そのメンバーで新宿高野フルーツパーラーで食べたパフェの美味しかったこと!

「これって口直しになるわね」

などと今の今まで一緒にいた人たちの話で盛り上がって帰ってきた。  

 ×彼氏いらない

これ以外にも大学時代には何回も合コンに参加したと思う。それでカップルになったのは1組くらいだっただろうか。(わたしは何回参加してもだめだった)西荻窪のアパートにはお風呂がなく、当時はお風呂屋さん通いだったが、お風呂屋さんの閉まる時間23時に間に合わない日もしばしばだった。今思うと極めて不潔である。それでも楽しくて仕方ない日々だったのだ。

最近ではすっかり家飲みに慣れてしまい、外で飲むと帰りが大へんだなと先に考えてしまうが、そんなこと1ミリも考えず、明日の授業も忘れて、宿題をやることもなく、さらにはテスト勉強すらしないで遊びまわったあの時期がとても懐かしい。


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