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息子の宿題

わたしは小さい頃から父親譲りのせっかちな性格で遅刻はしたことはなく、夏休みの宿題はお盆前には終わらせていました。父親は約束時間のかなり前に集合場所に到着するタイプで、それがそのまま自分に受け継がれていた気がします。今でも到着時刻の20分前には待ち合わせ場所にいる自信あります。(道に迷うとか、電車の乗り間違えとかの非常事態を抜かした場合)そういう性格は子供にも遺伝するものと思っていました。

夏休みも終わりに近い8月29日頃になると、息子がなにやらモジモジしながら話しかけます。

「宿題が少し残ってるけど、ちょっと手伝ってよ~」

だいたい夏休みが始まる時に

「宿題はお盆前に終わらせるのよ」

と言い聞かせたはずですが、生返事のままこの日を迎えるのが恒例の行事でした。

「何が残ってるの?」

一応聞いてみます。息子が部屋から持ってきたのは、夏休みの日誌、
ポスター、自由研究、自由工作、習字、読書感想文...。全部です。あと毎日1ページ書くことになっている漢字練習も。ここで何かとがめると9月1日に絶対にずる休みするので、ぐっと我慢をして答えます。

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「じゃあ今から一緒(ここ強めに言ったつもり)にやろうね。」

急に息子の顔がキラキラ輝くのです。そんな輝きいらないから、ちゃんと毎日コツコツやっておけばいいのに。ここも我慢です。
夏休みの日誌は薄い冊子なので終わるでしょう。ただそこに「お天気」記入欄があるのが困ります。ああ、よかった。廃品回収が終わってなかったから、古新聞が残っていたわ。せっせと天気を教え、書かせていきます。
それが終わると息子は、既に宿題は終わった気分になって、やけにくつろいで「ドラえもん」なんか読んでいるではありませんか。

「ちょっと、読書感想文くらい書いたら?」

ときつめに言うと、

「だってボク、本を読んでないもん」

そりゃそうだ。「読書」に縁がなく、読むものは「ドラえもん」「名探偵コナン」「コロコロコミック」だからなあ。仕方がないので代わりに書くことにしましたが、自分がいつも読んでいるミステリー小説では感想文が書けません。そこで数年前に読んだ「ガラスのうさぎ」という本で書くことにしました。
読書感想文のために「課題図書」という本が存在していましたが、それは大人のわたしが見ても、少しも興味をそそるものではなく、ましてや子供があれを読みたくなるのかと思うほど、いかにも「課題」のための「図書」という感じのしろものでした。それでもその本をしっかり読んで立派な感想文を書いてくる子供もいたので、好みによるのかもしれません。
さて、400字詰め原稿用紙3枚という文字数の条件はあっという間にクリアしました。チラシの裏側に走り書きしたものを、息子に見せ

「書けたよ。さあ、清書しなさい」

と言うと、

「漢字が多くて読めない」「原稿用紙が買ってない」「シャーペンの芯がない」

などとあれこれ言い始めます。その間にいちおう日誌は済ませたらしい。すごいぞ、テレビで夏休みの子供向け漫画を見ながら、コロコロコミックを読みながら、夏休みの日誌を書けるなんて!
いや、よく見ると、象形文字のような解読不能の文字で一応日誌の解答欄を埋めたに過ぎないのが丸わかりです。チェックする先生は大変だろうな。それでも終わったことには変わりがないので、わたしがしまっていた原稿用紙とシャーペンの芯を渡し、

「さあ、これで書けるでしょう?」

と言うと、息子は手に持っていたものを全て放り投げ、床に寝転がると、手足をばたばたさせて泣き真似をしながら

「書けない、書けない、書けない」

とぐずり始めました。当時小学校3年生です。スーパーの床に寝転がってほしい物をねだるために泣きわめく時代をようやく卒業したばかりです。
結局わたしが左手で原稿用紙に代筆することにしました。(今でも左手で下手くそに文字を書くスキルはあります。いつでもできます)
何とか全てを終わらせることができたのは、31日の夕方でした。ああ、これでしばらく余計な用事がなくなったわ。

9月1日は当然機嫌よく息子は登校していきました。しかしその晩、息子は連絡帳を持ってきました。なんとなく雰囲気がおかしい。

「先生がお母さんに読んでもらいなさいって言った」

息子の連絡帳に書き殴られているミミズの這ったような文字(本人すら読み返せないという)の最後に赤ペンで先生のきれいな文字が書いてありました。

「○○君の感想文、拝見しました。とてもよく書けていたので市のコンクールに応募します。思い切り褒めてあげてください」


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