見出し画像

ヘッドスライディング

甲子園で行われる高校野球の試合で、負けているチームが9回2アウトになった時、打席に立った選手がフルスイングしたあげく平凡なゴロを打ってしまう。そして彼は必死で1塁ベースまで走り、ヘッドスライディングをすると同時にアウトのジャッジを受ける光景をたまに見かける。舞い上がった土埃の中に倒れた彼が、悔しさのあまりそのまま地面に泣き伏す姿を見ると、胸がジーンと熱くなってしまうが、それを見ると父が

「1塁は駆け抜けた方が速く到着できるよ。あれは間に合わないとわかっているからやっているんだよ」

と身もふたもないことを言ったのを思い出すのである。


一応運動神経が良かった父と「50mを5秒で走った」と言う自称運動神経の良かった母のもとに生まれた3人姉妹は、誰一人として運動神経が良い者はいなかった。ずっと母も運動神経がいいと信じていたわたしに、

「お母さん、本当は体育大嫌いだったじゃんね」

と母が本当のことを話してくれたのは、ずいぶん後のことである。海が近かった母の育った町で水泳訓練があった時に、泳げない子供は舟で沖まで連れて行かれ、そこから海に落とされるのだが、最後まで舟にへばりついていて離れなかったと言う。それは一番上の姉に受け継がれていた。

さて野球好きの父に影響されてわたしは、野球が大好きだったし、小4から入部できるソフトボール部にも当然のごとく入ることに決めた。しかし心と体は同じではない。そもそもソフトボール投げが10m台の肩の持ち主に
25mほど離れてのキャッチボールなどは5バウンドくらいしないと相手にボールは届かないのだ。ノックを受ければ、「正面で取る」という基本を思い描きつつ、ボールは股の間をくぐっていくか、グローブをかすめてあらぬ方向に向かってしまう。当然1塁に投げられるはずもないし、運よくグローブにボールが入ったとしても1塁までボールが届かないのだ。
しかし授業後ソフトボールを練習していると、補欠のバケツでも、授業でのソフトボールはそこそこ上手くできるから不思議である。
ある時バットを思い切り振ったら、ボールがバットに当たってしまった。(普通当てるためのものだけれど)結構勢いよくボールは飛んだのだが、なにせ「当たる」ということをめったに経験していないので1塁へ走り始めるのが極めて遅い。しかし

「Mちゃん、走って!」

の声に我に返って真剣に走ると、外野を守っていたTちゃんが、そういう時に限ってしっかりゴロをキャッチし、いいボールを1塁まで返してくる。ここで高校野球漬けの日々だったわたしの体が反応し、なんと1塁にヘッドスライディングしたのだ。それもやや早めにスライディングしたので、指の先は1塁ベースに到着していない。それでも担任の先生は

「Mも頑張ったな。これはセーフだな」

と言ってくれた。校庭の泥で汚れた体操着をパンパンはたきながら、ちょっといい気分で1塁ベースに立ったのを覚えている。あとにも先にもヘッドスライディングをする機会は訪れず(そもそもボールがバットに当たらない)あの高揚した気持ちは2度と味わうことはなかった。
ソフトボール部でも、そして中学高校のバレーボール部でもずっと補欠だったが、プレイは下手でもそのスポーツについての知識は豊富になることができるし、ゲームを見て楽しむことができる。先輩後輩への接し方も知ったし、チームというものを漠然と知ることができた。そう考えると選手になれなくても楽しい経験をしたんじゃないだろうかと思ったりもするのだ。いや、中学のバレーボール部でエースの子だけ、顧問が秘密でお寿司を奢っていたことを聞いたときは、やっぱり補欠ってそれほどいいことなかったと改めて感じたけれど。

画像1


今、自分の手元に野球の審判用カウンターがある。亡くなってから約10年経つ父が、中学の野球を指導していた頃使用していたものだが、それを実際に使っている姿を一度も見たことがなかった。父の死後、遺品を整理している時に父が使っていた机の引き出しにきちんとしまってあったこのカウンターを見つけたが、それを使って父は何度審判をしたのだろうかと思わず考え込んでしまった。このカウンター一つに込められた父の思いが想像できず、いくつもの情景を思い描いている。きっとわたしが人生を終えるまで、これは父と同じように机の引き出しに大事にしまっておくことになるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?