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人との間合いと自分への許可

またまたゆっくりお風呂に浸かりながらnoteの時間。

母からLineがあり、姉(母の姉)に以前から病院に行って一度検査を受けるように勧めていて、ようやく行ったら糖尿病と言われたらしく、自分で食事制限をするか、通院するかどっちにしますか?と聞かれ通院することにしたらしいとのこと。

以前のわたしなら、それがいいと思ったし、母ぞよくやったと思ったと思う。

しかし、今のわたしは正直どちらが良かったんだろうかと判断がつかないでいる。

健康を意識することは大事である。
そこには寸分の迷いもない。

ただ、病院というのか医療システムに少々懐疑的な部分があり、わたし自身は、薬漬けで長生きするよりもポックリ逝きたいと思っている。

母にそれを言うと「そら、ポックリ逝けたら一番いいよ。でもそうとは分からんからさ。」と言う。それもそうだ。

答えが出ない問題だと思う。

* * *

昨日の夕方、愛犬のお散歩をしていると、夫を支えて歩く夫婦の姿があった。

小柄な女性が全身で夫を支えて歩いている。
いつもならご主人は杖をついているのに、この日は杖を持っていなかったようだ。
しばらくすると、夫は疲れたのか道の端にしゃがみこもうとしていた。

はて?これはただ疲れたから休憩しているだけなのか、はたまた体調が悪くなったのか?

『大丈夫ですか?』声を掛けた。
すると奥さんが少し困ったような顔をして「はい」と答えた。

ここからの間合いが難しい。
散歩時に時々顔を合わす程度で、どこにお住まいなのかもしらない間柄。
どこまで心配していいのか迷いながら、奥さんの少し困った顔=そっとしといて欲しいと受け取り、その場を後にした。

そして自宅に帰ったものの、やはり気になる。
愛犬にお留守番を頼み、散歩時に持っていなかったマスクを手に取って、ウォーキングスタイルで帰ってきた道を戻った。

すると、また奥さんの肩を借りながら2人は歩き出していた。
どうやら大丈夫そうだ。

わたしはすっと横を通り過ぎ、住宅街を散歩した。
次に同じところを通った時にまだ二人の姿があれば肩をお貸ししようそう思って行ってみたが、どの道を覗いても二人の姿はなかった。
無事に自宅に戻ったのだろうか。

* * *

最近思うことは、他人(自分以外の誰か)に対して、どのぐらいの間合いで接するのがいいのかということ。
人それぞれに色んな事情や考え方(思想)があり、こちらが正しいと思っていることが、相手にとって正しいとは限らないということ。

今、ふと思い出したことがある。
先日の旅行の際、小さなこども2人を連れたママさんがいて、ベビーカーと子ども2人を抱えて、次の停車駅で降りようとしていた。
実家にでも帰ってきたのだろうか。
その降りる少し前、近くにいた同じ駅で降りるサラリーマンに「ベビーカーを降ろすのをお手伝いしていただけますか?」と声を掛けていて、男性も「あっ、は、はい。」と返事をしていた。

これってすごいことだなって。
自分から「お手伝いいただけますか?」って声を掛けるのって勇気がいると思うんですよね。でも、手伝う側も言っていただいた方が、遠慮なくお手伝いできるし、声を掛けようか掛けまいか悩まなくて済むじゃないですか。

だから、手を貸してほしい時は、悩まずに声に出してほしいと思った。
もちろん皆がみんな声を出せる人ばかりじゃないというのも分かっています。
だから、「大丈夫ですか?」と声を掛けられたら「手伝ってもらえますか?」と自然にSOSが出せるといいなと思った。

人って色々いると思うんですけど、やっぱり人の役に立ちたいんですよ。
人の役に立てると自分に自信が持てるというか、自分を肯定できるそんな気がします。

そういうわたしが、なかなか人にSOSを出せない性格なんですけどね(笑)
でも、これからは頼っていい時は誰かを頼って、ひとりじゃ出来ないことも可能にしていきたいなと思う。

これが2つ目のわたしがわたしへ出した許可のような気がします。
1つ目は、自分の好きなように生きていいよの許可
2つ目は、頼れるときはひとに頼っていいんだよの許可

そうやって、色々と凝り固まった心と体をほぐしながら、自然体で生きていけたらいいなと思います。

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