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石原慎太郎にもらったもの

 石原慎太郎さんがお亡くなりになりました。この方の死は私にとって特別な意味を持っています。なぜなら、石原慎太郎さんは、私という芸術家が誕生するきっかけをくださった方の一人だからです。


 自分の芸術家としての“才能”に自信を持てぬままアートを志した十代。

しかし、その世界は私にとって決して甘いものではありませんでした。

未来も希望も見いだせずにいた頃……私に大きな試練が立ちはだかりました。


 24歳の時……母が……その1年後に父と、相次いで両親を亡くしました。

 現実を受け入れることがとても辛く、逃げるように生まれ育った関西から東京へと引っ越し、なにもなかったような気持ちで芸術も含め過去の自分と関係のない分野でOLをしながら数年間を現実と向き合うことができぬまま過ごしていました。

「 春化粧 」  162cm × 112cm


 時間ぐすりに癒された頃、私の中に再び自分の“才能”と向き合ってみたいという衝動が沸き上がっていました。ありがたいことに「こんな公募ができたみたいだけど出してみたら?」と背中をおしてくれる人に勧められたのが、当時都知事だった石原慎太郎さんが立ち上げ、今では若手作家の登竜門となっている『トーキョーワンダーウォール』という絵画の公募展でした。


 入選者は東京都現代美術館に展示され、上位受賞者は1年間都庁の壁に作品が展示されるというこの展覧会。審査員の顔ぶれを見れば奈良美智さんや村上隆さんを抱える小山ギャラリーの小山登美夫さんや、六本木森美術館の館長さんなど、現代アートらしいテイストが期待されていると推測できました。

 ですが私は、ファンだった慎太郎さんに“才能”を認めてもらいたいという一心で、仕事の傍ら墨、銀箔、象牙の粉、珊瑚の粉を使い6畳のアパートで描いた『春化粧』という城の石垣に咲く桜を描いた100号サイズの日本画を出品しました。


 結果は幸運なことに入選。授賞式で生の慎太郎さんをみることも叶いました。

 さらに上位3名に入賞できれば一緒に写真が撮れてお話しできる。サインをもらいたくて「太陽の季節」の本を握りしめ真剣に祈りましたが、入賞はならず……。

 スピーチと撮影が終わると慎太郎さんは、あっという間に5、6人の屈強で眼光鋭いSPにかこまれ、竜巻のように去っていかれました。


ああ、カッコよかった……(笑)


 その後の懇親会で他の審査員の方々とお話ししている中で、建築家の今村有策さんから「ああこの作品女性が描いてたんだ、男性の作品かと思ったよ。慎太郎さんが票を入れたんじゃないかな『見ろよ!荒城の月だ!』と言って僕を呼びにきたよ」と教えてくださり、喜びに打ち震えたことを思い出されます。。

 

 また2011年には産経国際書道展で東京都知事賞をいただき、慎太郎さんの名前が書かれた賞状を受け取ったときは、直接お会いできなかったけど、とても嬉しかった。

ようやく自分の“才能”を認めていただけた気がして……。


 トーキョーワンダーウォール展での展示をきっかけに、仕事をいただけるようになり、さらに4年半の渡米、その後の今日の活動に繋がっています。


実を言うと“才能”という言葉、これまでは自分に対して使ったことがありませんでした。ですが石原慎太郎さんに認められたことで、自分自身の“才能”をおぼろげながら感じることができるようになった気がします。

 

慎太郎さんの「俺もいささか“才能”があるけれども」っていうかっこいい言い回し、私もいつか使ってみたい。

 

感謝を込めて、心からご冥福をお祈り致します。


https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/020100334/
石原慎太郎さんのインタビュー


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