若さに張り合う老人に思うこと

年長者の立ち居振る舞いは職場やグループをややこしくさせる。
我が強い、経験へのプライドが高すぎる(時代が違うことをわかっていない)、学習しない、話を聞かない、若手と張り合ってくる。
聞き耳を持たない人はさらに酷くなる。うまくあしらうしかない。
でも変に元気で暇だから茶々を入れてくる。

今は皆スマホに熱中してばかりなどと言われる世の中でも、こと集中力はあると思う。注意散漫傾向にあっても年配者の短絡的で決めつけ的な思考ではない。
年寄りの話は貴重で、しっかり聞かないと罰当たりになるような風習や文化は相当邪魔している。今時の若者は、、などとなじる暇老人の話は聞きたくない。

ジムに行っても年寄りが幅を利かせて陣取っているケースがある。同じお金を払っていて、どう使用するかは個人の自由ではあるものの、年齢層が高い層に支持を受けているサービスは若い世代の享受には繋がらないと思う。ジムに行きたいと思っても温泉に浸かりにきたような老人ばかり見ていると気持ちの良いものではない。

なので何事も幅広い年齢層をカバーするのは大変困難だと思う。老人の若返りに対する欲は元気なほど強く、その持ちえた知識の中でめいいっぱい若い人から刺激を受けようとしていると思う。

人は特に若く見られること、自分が若くいることに年齢を重ねれば重ねるほど執着するように思う。若くいることは自分のポリシーで持っていればよく、それを表面的に接することで得る満足感なだけなのであれば、その年代間においてプライドが持てる何かに集中すべきではないかと感じる。

世代間を超えたコミュニケーションは基本的に有益。それでも煙たい元気な老人が多すぎて、彼らに下の世代があくせく働いている中に無闇に絡んでこず、自分たちの中でカッコイイ文化を生み出して欲しいなと思う。

働く世代は一部の思考回路が止まっている老人を相手している暇はない。それをうまくあしらっていることに気づくべき。茶々を入れずに自分に集中して欲しい。そうしないと尊敬はさらに得られなくなると知るべき。今の世の中は働く世代に甘くないのに、暇で張り合ってくる老人をも敬って支えないといけないなんて信じられない。

目標を持って勉強し続ければ、煙たい老人にはならない。
長寿国の日本において高齢化の弊害を日常生活で感じる。やっぱり教養とか学習欲があれば暇しないから、生涯学習は有益。


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