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私には妹がいる。はっきりいって、むちゃくちゃ可愛い。
妹がやってきたとき、あまりにもかわいくて足をぱくっと食べたら
「お兄ちゃんもまゆちゃんにおんなじことやってたよ」と母が言った。

学校から帰ると、真っ先に妹が寝かされているえんじの座布団に飛んでいき、一緒に横になったり、髪の毛の匂いを嗅いだり、布おむつをせっせと畳んだりした。

妹がよちよち歩くようになり、一緒に公園で遊べるようになると
私はみんなに妹を見てほしくてしかたなかった。
当時「フルハウス」というドラマが教育テレビでやっていて
「うちの妹、ミシェルに似てんねん」と言ってまわった。相手の反応は覚えていない。どうでもよかったからだ。私の中で妹がミシェルに似ていることは、「似てると思わへん?」じゃなくて「似てんねん」だった。

妹はアトピーがひどかった。夜、かゆくて眠れなくて二段ベッドの下で泣くのである。かき壊し防止に巻かれた包帯がかわいそうでならなかった。
私は妹にホットミルクを作ってのませ、妹の赤くなった肌を触れるか触れないかの重たさでゆっくりゆっくり撫でた。私が独自で編み出した撫で方だった。そうすると妹は少し気持ちが和らぐようだった。

妹は私を優しい姉にしてくれた。何かを誰かにしてあげられることは、とても幸せなことだ。心が満ち足りる。自分がこの世界にいてもいいように思う。そのことを最初に教えてくれたのは妹だと思う。

そんな私を妹も憎からず思ってくれた。
妹が小学校の宿題で先生に「私の家族」を順番にイラスト入りで紹介した。
そこで紹介された私は、目がキラキラで鼻もツンと高くて、「おねいちゃんはびじんです」と書いてあった。

その時私はBNWを結社するほど己の見た目に悩んでいた。妹から発信される物事には全肯定する私だが、その時ばかりは「妹よ、私の容姿は並、いやどちらかといえば中の下なのだよ」と諭した。妹は「まさか」という顔をした。その表情は後々まで私の心をあたためた。

東京の大学へ行くことになり、妹とはしばらく離れて暮らした。
そのうちに妹は中学生になり、高校生になり、そして私と同じ大学に通うことになって、二人暮らしをすることになった。

しばらくは、大きくなった妹とどう接していいか戸惑った。妹に恋人ができるとショックでその話題は聞こえないふりをした。
そんなわけで、別れているもののやむを得ぬ事情で同棲を続行するカップルのようなよそよそしさで暮らしていたが、その間にもやはり妹は素晴らしいと思う日がたびたびやってきた。

その時私は、会社の先輩から「北の国から」のVHSを借り、それを休日にごはんを食べながら見るのにハマっていた。隣で一緒に妹も見る。私はぼろぼろ泣くのだが、妹はうんともすんとも泣かない。
「これがゆとりってやつなの…?」と寂しく思った。
その日もぼろぼろに泣き、放心状態の私のそばで、妹は黙って皿を洗い始めた。
その肩が震えていた。
「純のこと考えてたら、泣けてきた」
妹は腹の中にまるまると北の国からを入れて、それをしっかりと自分だけで味わって、泣いたのだった。
私の号泣より、本物の涙だと思った。以来、私は妹という人間を信じている。やつはほんものだ。

妹は就職し、私たちは同居を解消した。

何年か経ち、彼が結婚を申し込みに私の家族に会いに来た。
スーツを着て正座をしてドラマでよく見る感じで彼は言った。
「繭子さんと結婚させてください」

シーン……。

清家のみんなは、初めての経験でどう答えていいかわからなかったのだ。そういえばドラマでも「NO」パターンはみるが、「WELCOME」パターンはなかなか見ない。うちの家族はイデオロギー的に「こんな娘でよかったら」的な言い方はしない。定型句が使えないのである。その時、間の抜けた声がした。

「どうぞぉ~」

妹だった。

その「どうぞぉ~」で一気に場は和んだ。
ナイスおまゆうである。

そんな妹が死にかけたことがあった。
私が小学生、妹が幼児だったとき、「マーサごっこ」という遊びをよくした。「マーサ」というのは「秘密の花園」かなにかに出てくるお手伝いさんの名前で、一方がお嬢様、一方がマーサになって、家にあったベルを鳴らし、「マーサ!〇〇を持ってきて」「はい、お嬢様」というやりとりを繰り返すのだ。

妹は世話焼きでマーサ役をやりたがり、私は私で寝そべっているだけで「ちびまるこちゃんの6巻」とか、麦茶とか出てくるので大変ウィンウィンな遊びだった。
その日も私がお嬢様で妹がマーサになり、妹はいそいそと私の所望する「ちびまるこちゃん」を本棚へ取りに行った。すると何かがぶつかる音と妹の大きな泣き声が聞こえ、私は慌てて見に行った。
妹の頭から血が噴水のように出ていた。
本を取ろうとかがんだ妹の頭上に、壁にかかっていた絵画が降ってきたのだ。しかも角っこが。
初めて人間の頭から血が噴き出すところを見て、私はあまりの光景にブドウゼリーをパカッとのせたみたいだなどと考えた。それと同時にとにかくティッシュで噴水(噴血?)を押さえた。そして母を呼んだ。あのときは「世界の中心で愛を叫ぶ」の森山未來より絶叫したと思う。

トイレに行っていた母が出てきて、すぐに救急へかかり、妹は助かった。妹はこれ以外にも倒れてきた本棚の下敷きになりかけたり、火事に遭いかけたり、車にひかれたりした。妹の頭や足には今も傷跡がのこる。しかし、妹はいつも生き延びてくれた。

私は、そのことだけでも、かみさまにありがとうと言いたい。その後、かみさまなんているもんか、ということが何度も起こったが、妹が今もこうして生きていてくれる世界なのだからそのことには感謝している。

私には妹がいる。はっきりいって、めちゃくちゃかわいい。





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