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「私」という存在はどこからどこまでをいうのか?

こんにちは。まゆちんです。

さて今日は大きなお話します。

というのも数日前、先日、久々に昔読んでいたこの本を読み返していて、こんな文言が私に飛び込んできたからです。


とまあ、大好きな池田先生のご本だったのですが、
改めてこのタイトルでなにか発信してみたくなったということです。


さて。


「わたし」って何?どんな存在なのか?
っていうお話ですが、

まずは、私たちってお母さんから生まれましたよね。


で、そのお母さんはおばあちゃんから生まれて

おばあちゃんは、ひいおばあちゃんから生まれて・・・

ひいおばあちゃんは・・・


と辿っていくと自分の背中にずらーーーーーーっと命が繋がっているのが見えると思います。


あなたの後ろにはずらずらずらずら・・・・・・・・と列が切れることがありません。


人間の由来からたどると、

(まあ諸説ありますがここでは触れません。)


「あなた」という存在は、ずーーーーーっとつらなってきた膨大な命のつながりの「最先端」にいるともいえます。


最先端だよ、最先端。


何が言いたいかというと、
私たち「ひとり」は「ひとり」ではないってことです。

これは、別にスピリチュアルのことを知らなくてもわかりますよね。


さらにこうも言えます。


私たちは「ひとり(個)」でもあります。

一つ一つの「肉体」に身を包んだ一人の存在ですよね。


でも、話を元に戻すと、私たちは関連しあってます。


なにがいいたいかーというと、私たち一人一人の中に「ぜんぶある」ってことですね。


余談ですが「スピリチュアル」という言葉には様々なイメージが付きまといますが、私はこういうこと含めて
「私達は見えない存在とともに生かされている」
といえるわけで。

それってスピリチュアルだよなあ。って思うのです。

スピリチュアルな存在じゃない人っていないやん。


だからスピリチュアル=現実でもある。
対義語ではないような気がしています。


さて、話は突然タロットになります。


私たちのがこの世に生まれて
「さあ!人生という旅にスタートするよ!」
と生まれてくるのがこの方です。

愚者のカードです。


愚者


そしてこの愚者は、「神様との合一」ってやつを目指して人生を歩むんですよね。

ごーいつよ、合わせて一つになる。


その為 「一人の個人」として旅を始めます。


そして、クライマックスで「目覚め」て、


審判


ゴールに至ります。

「世界」=意味は完成、完璧、完全なる調和とかね。


世界


自分=世界であることを思い出すんですね。

自分の中に世界があるってこと、世界は私だってことに気づくんです。


でも、旅を始めるこいつは「おろかもの(愚者)」なので、一切合切そういうことを忘れてこの世に降り立つんです。


ただ、小さいカバンは持ってるけどねー。

で、目覚めてここに至る。



ここからが本題です。



この愚者(アホ)はなぜ、わざわざこういう旅に出ようとするのでしょうか。

「そんなんしなくても、ずっと目覚めたままでおったらええやん。」

となりますよね。


で、
「私たちは、良くも悪くも色々な経験したくて生まれてくるんですよー!」
って話になりますが・・・うん。そう思う。


でも、いつも私思うんです。

「え?それだけ?」

もう一つなんかある気がするですよね。

もうひとつこう。。

「これがやりたいねーん!」みたいな。

で、最初の話に戻ります。


私たちは「ひとり(個人)」で、この世にいますが、その後ろにはズラズラズラーーーーっと命の脈々たる流れがあるというお話でした。


でも、この脈々たる列は、動いているのではないかと思うんです。

ええ、大いなる思い込みですけど。笑。


私は、命って蒸気機関車のようなものじゃないかと思うんです。
(例えればいいってもんだと思ってます。)


1両目だけにエンジンがあって、あとはそれに連なっています。

私たちが「個人」と思っているのは「1両目」です。

いつもはそれしか意識できない。

だって、そこにしかエンジンが載っていないからね。


いつもは、後ろにたくさんの貨車がいるなんて「見えていない」「気づいていない」。

でも、いつだって、目的地があって、大切な何かをどこかに運ぼうとしている存在です。



ほら、運んでる。笑。(ちいさっ)

彼が持っている「潜在的な記憶のかばん」には先祖代々、人類全部の恩恵が詰まっているのかもです。


何が言いたいかというと、私たちは人生で色々な経験をしたいと思って生まれてきます。


蒸気機関車でいうと、どこかに向かって進むことですね。


なおかつ、それは「一人の旅ではない」ということも思い出したい存在なのだと思います。


でも「運転手は君だ」ってこと。


その運転手が乗っている1両目の背後にはこう・・・ズラズラーーーッと連なるものがあります。


さらに、その貨物車に積まれている恩恵は好きに受け取ることができたり、誰かに送り届けたりできます。


そういった「つながり」から多くのものを受け取っていいんだよーーーってことも、この世でやりたいことなのではないかな?と思います。



「つながり」の中にいるのが「わたし」であり、

「つながり」の最先端にいるのも「わたし」なんだ


ということを思い出すのが「生きている人」のお役目とも言えるかもしれません。

まあ、ひとことでいうと「分離から愛を学ぶ存在だ」っていっちゃってもいいけど、もう一つそれじゃ私の言いたいことが伝わらないので、蒸気機関車の例えになりました。
(例えればいいってもんです。)


これ、あまり理屈で理解しなくてよくって、ハートで感じてもらいたいなあと思います。

というわけで・・・まとめますと「わたしたち」は

私たちはつながりの中に生かされていて、

私たちはその最先端にいる。

だから運転手は君だ。

行きたいところへ行ってみよう!


です。


ね、タロットの作者もこういってますし・・・。👇

「見えない存在からの恵みと受動性」

これって、もうすぐ訪れる魚座木星時代を象徴しているようですね。


世の中は風の時代(=水瓶座バージョンの)に意識があります。

もちろんソレが必要。


しかし、1.5歩先をいきたい人は魚座にも注目してみましょう。

(時流を読む時は、1.5歩先を読むのがベスト持論。)



お読みくださってありがとうございます。



まゆちん


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