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自己犠牲を終わらせる

我慢するのが当たり前になっていませんか?


私自身、自己犠牲をしながら生きてきました。

自分とは関係ないことにも、
自分が悪いんじゃないか?
私のせいなんじゃないか?
私が我慢すればいい。

そんな風な思考回路になってしまっていたんです。

パートナーの機嫌が悪かったら、真っ先に疑うのは自分。

ある時、子供に「ママ何かしたっけ?」
と聞いたことがありました。

「パパが勝手に怒ってるだけだから、ほっとけばいいよ。」

娘にそう言われてハッとしたんです。

何でいつも自分のせいにしていたんだろう。

もちろん、私が原因の時もあるとは思うのですが、大概は本人の問題。

疲れていたり、気持ちに余裕がないことが原因なんですよね。

それからは、気持ちに余裕が無いんだな〜と、ゆったり構えることが出来るようになりました。

人は無意識に他人が向き合うものを奪っていたり、自分の向き合うものを人に押し付けたりしているんです。

私はどちらかといえば奪う側でした。

家族であっても境界線をしっかり引かなければなりません。


私自身のわかりやすい例でいうと、義理の母は、息子は忙しいんだから息子のサポートをしっかりしなさいとか、そういったことを平気で言ってくる人。

あげ出したらきりがありませんが、何かとコントロールしようとしたがる人です。

主人も親にものが言えず、適当に流しとけばいいよ、言っても無駄という感じで、私を守ってくれることはありませんでした。


何を言われても自分が我慢すればいい、長い間そういった状況を受け入れてきた自分がいました。

結局は自分が自己犠牲を受け入れていたことが原因なんです。

自分が受け入れている限り、そういった状況、人が目の前に現れてきます。

何でそんなこと言われないといけないの?と相手に矢印が向いてしまいますが、矢印を向けるべきなのは自分。

私が自己犠牲を手放すために起こされた事象に過ぎません。

全ては自分のため。

私が自己犠牲を手放せば、そういった人は現れなくなります。


自己犠牲ばかりしていると、本当の自分を見失ってしまいます。

誰かの為に尽くしたいという気持ちはすごく大切なことですが、まずは自分が満たされた上で出来ること。

満たされていない状態で、人のために何かをするということは、ただただ自分が枯渇していくだけ。

自分を優先させることに罪悪感を持っていたり、自分の気持ちより他人の気持ちに矢印を向けているなら、少しずつ終わりにしていきましょう。

自己犠牲は自分のためにも相手のためにもなりません。

自分でしか終わらせることはできません。



最後まで読んでいただきありがとうございます。


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