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カワクボを見て想う、信ずる気持ちは憎しみを超えるのかもしれない。

ご存じだろうか?
この山は、中国雲南省にある、中国名:梅里雪山、そして、現地チベットの言い方をカタカナにすると、その名をカワクボという。
この山は、登山家の発想でいくと処女峰である。
ただ、それ以前に、この山は信仰の山である。
チベット族にとっての信仰の山の一つであり、特に雲南省のこの辺りのチベット地域=ディチェンの人々にとっては、神として崇められる山である。
(以下は、小林尚礼さんの著書「梅里雪山」を読んだ時の記憶などを元に私が構成した文章である。)
そして、、、かつて、、、この山に登頂しようとした登山隊がいた。日中合同登山隊が組織された。名前の通り、日本人と中国人(漢族が中心)により作られたものである。
そして、、、登頂は失敗し、遭難した。
この山の途中に氷河があるのだが、そこからは今なお登山隊が残した(遭難した時のもの)が出没することがあるという。温暖化に伴い氷河が溶けることで探して見つける形ではなく自然に出てくることすらあるようです。

チベット族にとって、そして何よりこの地の人々にとっては、犯してはならない聖域であり、信仰の山である、カワクボ。
でも、登山隊にとっては、おそらく処女峰攻略の方が興味をそそったのかもしれない。
この地の人々は、当時、「登ってはならない。バチがあたるぞ。」というような趣旨のことで猛反対したらしい。それでも、登山隊は登ろうとした。結果として、隊員17名は雪崩に巻き込まれ、生還者はいなかった。

私が、地元のディチェンの人の立場であったなら、ほれみたことか、と思う気がした。なんなら、知ったことか、と思ったかもしれない。

しかし、この話はここでは終わらない。

雲南省の飛来寺から眺めたカワクボ 撮影は私自身

この写真を見て欲しい。
山の手前に五色の旗がはためいているのがわかるだろうか。
それぞれの側には、チベット語でチベット仏教の祈りの言葉が書かれているという。そして、この旗がはためくたびに、書かれた内容が祈りの言葉として捧げられる。

この写真を撮ったこの場所には、日中合同登山隊のための慰霊碑が建てられている。

飛来寺にある日中合同登山隊遭難者のための慰霊碑

これがその慰霊碑である。
地元の人々が建立したチベット式の慰霊碑である。

私のような、信仰心の薄いものは、ほれみたことか!で終わる。
しかし、チベット族のチベット仏教への信仰心はとてつもなく深い。
自らの警告を顧みず、自らにとって神聖なる聖域を犯した人々のために、慰霊碑を建てた。
たとえ警告を聞かず、神の怒りに触れた結果として遭難しなくなったとしても、失われた命に対する慰霊の気持ちを込めて建立する。
私だったら、憎しみが慰霊の気持ちを超える気がすると思った。しかし、彼らはそうではない。
それがとてもすごいなと思った。信仰心があるということの、命を想う気持ちのあり方の凄さだなと思った。

日本からは、後に、登山隊員関係者の1人である、上記の本の著者でもある小林さんが、慰霊登山という形で何度も遭難した氷河域への登山をして遺品などを回収してきた。何度も何度も足を運ぶ中で、遺品回収すら拒絶していた地元の方々と心を通わせ、交流を深めた小林さんにも、そして、その相手である地元のチベット族の人々に、私自身は、人として生きること、信じる気持ち、命を尊ぶことの大切さ、そうしたものを教わりました。

慰霊碑が建ってあるこの場所は、カワクボがとても美しく見える場所です。
この地に慰霊碑を建てた意味を私は考えたことを覚えています。この場所に行って、深く考えさせられました。

私がこの出来事に関して知っているのは、小林さんの本がほぼすべてです。もちろん、その本を読んだのち、現地に行って感じたこともありますが。
人が人であるが故に、欲求もある。
でも、信じる心もある。
人それぞれがその人の中で折り合いをつけるとともに、周りの人のことをも踏まえて検討するということの意味を、この写真を見ると想うのです。

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