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「痣」と東洋的身体観

小さい頃から、流行っているものに疎いタイプでした。

「最近の若い子が好きな歌手とかテレビとかわからなくて。自分も年とったなあ」という方がいらっしゃいますが、私は自分が小学生の頃からみんなが好きな歌手とかテレビとかわからないので、世代ギャップをそこで感じたことはありません。単にずっと流行りというものがわからない。

わからないままここまで来たものもあれば、何周遅れているかもわからないぐらいのタイミングでふと手にして、はまって、何度もリピートする、というものがあります。

数年前から「ワンピース」。直近では「鬼滅の刃」。

鬼滅の刃と東洋的身体観

このところ、東洋医学の身体・心の捉え方を、練馬総合病院の中田英之先生に教えていただいています。というか勝手に学ばせていただいています。

中田先生は、元自衛隊の軍医で、癌に関連する遺伝子の研究などもされていて、そこから漢方などの東洋医学を自分で学ばれ、今は総合病院で漢方医をしながら、人が健やかに生きる場づくりもやっていらっしゃる方です。キリスト教から中国思想まで造詣が深く、山伏の修験道なども実践されていて、それはまあ、すんごい方。(鍼灸の竹井先生からのご紹介でした。)

鬼滅の刃をリピートしている理由の一つが、中田先生がおっしゃっている東洋的な身体観と、鬼滅の刃で描かれていることの間に重なるところがある、ということ。一巡目はただ夢中で細かいところはすっ飛ばして物語を読み、東洋的な身体観というレンズで二巡目をしてみると、一巡目とは違った味わいと腹落ちがあり、目下三巡目に突入中です。

「痣」の思い出

そんな中、一つ思い出したことがありました。

30歳の時、それまで経験したことがないぐらいの怒りを覚えたことがあります。絵で怒りは炎として描きますが、まさにそんな感じ。怒りが炎となり自分の体が燃えているような感覚でした。それ以降もそんなことは起きていないので、たぶん(今のところ)人生で一番怒った瞬間でした。状況としては、単に会話をしていただけなのですが。

わたしの人生はたいしたことない。その生き方だとわたしのポテンシャルがひらけず、そのポテンシャルがかわいそう。こっちにくればいい。こういう生き方をしろ、と言われたような気がしました。(実際には違う表現だったので、あくまでも私の認識がこう捉えた、ということです。)

自分の核、尊厳の源を踏みにじられたような気分になりました。そして「たいしたことなくったって、くだらなくたって、これはこれで私の人生なんだ!何がポテンシャルだ!」という気持ちが怒りと共に突き上げてきました。

そして、その瞬間、腕一面にしみのようなものがぶわーっと出ました。じんましんや湿疹ではなく、大きな黒い斑点が、大量に。体もすごく熱かった。

しばらくたって気持ちが落ち着き、黒い斑点も消えました。

あれは一体なんだったんだろう。なんとなく疑問は残りながら、私の数少ない神秘体験の一つ、うふ♪、ということで、適当に処理していました。いろんな力で満ちているバリでの出来事だったので、バリの作用だったのかなあ、みたいな。

そうしたら「鬼滅の刃」です。この物語では肌に浮き上がる黒い文様「痣」が重要な役割を担っています。最初は主人公にだけ痣がある。次第に、痣が出ると戦闘能力が上がって今まで倒せなかった鬼を倒せるようになるとか、心拍数200以上・体温39度以上などの条件が揃った人に発現する、ということがわかってきます。

あの時の黒い斑点ってこの痣に近いものだったのかも、と、思い当たりました。ぐわーっと体温が上がって自分から怒りの炎が出るような感覚の時に現れた黒い斑点。中田先生曰く身体現象としてありうるそうな。

鬼滅の刃と違って、私の場合、黒い斑点が出ても急にパワーアップするとかはもちろんなかったですが、でも、怒って黒い斑点が出た時から、生き方が変わったかもしれない、と今振り返って思います。

あの日を境に、まわりからどうみられるかを常に気にしてその中でよいパフォーマンスを出そうとする人生から、ぐちゃぐちゃかもしれないけれど自分の人生を生きる、へのシフトが本格的に始まったような気がします。そのシフトをしようという意思はすでにあったし、ちょっとずつ歩き始めてはいましたが、身体感覚として、剥き出しの意図として自分から受け取ったのがあの瞬間だったのではないかと。

自分の核が踏みにじられた(気がした)からこそ、すごい勢いで「なにくそ!」と立ち上がった自分がそこにいました。

怒り、そして黒い斑点は、自分ではない大きな流れ(「鬼」的な何かだったのかも...)に巻き込まれそうになった時に思わず出た「わたしはここにいる!生きてやる!」というわたし自身の叫びだったのかもしれません。

なお、30で痣を出しましたが、幸い、まだ生きております。

「養生」について学ぶ

中田先生が、季節ごとに「養生」についてのワークショップを、ヨガ・アーユルベーダ講師の斎藤奏(あかな)さんと一緒に開催されています。午前中が中田先生の講義、午後があかなさんのアーユルヴェーダによる四季の養生の実践法の解説とヨガ・呼吸法のワーク。

夏から秋の季節を扱う8/2(日)のワークショップの中田先生の講義テーマは「血」。そして「鬼滅の刃」も登場するそうです。なみに春〜夏を扱っていらした前回のテーマは「水」でした。

以下、中田先生からのご案内です。

午前の部では、東洋医学における身体と心体を繋ぐ概念である「血」を説明します。Soma(身体) とMind(心体)がどのように繫がっているか、そして、新型コロナウイルスの影響により社会のMind(空気感)が個人のSoma(身体)に影響を及ぼして変化させていくのか、そして鬼はなぜ血を好むのか?と東洋医学の視点からお話しします。

今までの生き方や考え方の癖はとても強く、中田先生やあかなさんが教えてくださっていることで実践できているのはまだほんのわずか。あと、最初は「教えてもらったことは全部やろう!」と張り切りすぎて、それで時間に追われて身体が疲れる、というよくわからない感じになったりしていました。身体にいいことをするという目的のために身体を使っちゃう。だからそうじゃなくて身体を起点に生きよう、ということなのに。癖ってこわいですね。

でも、自分なりのペースで、自分に正直に、つまり超ゆるゆるに、実践するうちに、身体との付き合い方がわずかながら変わってきたような感覚はあります。身体からのサインを受け取ってそれに合わせて多少行動を変えることができるようになってきたかな、とか、仕事や作業をする際に「これは身体が喜んでいる」「身体が拒否している」と以前よりくっきりわかるようになってきているな、とか。

そうすると、これまではなんとなくやれていた仕事ができなくなったり、まあそういう考え方もあるよねーと受け入れていた考え方がどうにも受け付けなくなったり。うっとなって食べられなくなったもの(コンビニのパンとか)もある一方、世界の音、光、匂いには前より敏感になってきたり。

こうやって人生がシンプルになっていくのかな、という予感があります。

8/2のワークショップ、ご興味湧いた方はぜひ一緒に学べたら嬉しいです。

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