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精神性と思考性

私は
『永遠の片想いをしていたい』
と言う言葉を口にする事があるのだけれど、
その根本の感覚って多分
『相手が成長し、変わっていくのを側で見ていたい、それを見て、感じて、自分も成長していきたい』
と言うのがあったんだなぁと言うのを、
先週この話をした時に
『でも恋人としてお互い努力して高め合っていく恋愛も良いですよね』
と返されたのと、
ぴんくちゃんと話した己の変化の責任の話から気が付いた。

『相手が成長し、変わっていくのを側で見ていたい』
までは、これ又たまに口にする
『本当に好きな人の葬式に出たい』
に繋がる部分なのだけれど、
その先の
『それを見て、感じて、自分も成長していきたい 』
の部分は無自覚だった。

でも私の根本にある感覚はこれだ。
そしてこの感覚が私が恋愛に能動的には参加しない理由でもあるのかも知れない。
振り返ってみてもとても受動的だ。

私の周りには素敵な人がいっぱいいる。
そう言う出会った時に既に素敵な人はきっとこれからも素敵になっていく。
そんなその人の人生に“恋人”として深く関わって、
私が好きなその人の“感覚”が変わってしまうかも知れないのがきっと怖いのだ。

でもこれはこれで傲慢だな。
私一人の影響でそんな大きな変化があるかなんて分からないのに。

こうやって言語化していて気が付いたけれど、
私の『永遠の片想いをしていたい』の話から、
根本的な感覚への返答でもある
『でも恋人としてお互い努力して高め合っていく恋愛も良いですよね』
の返答を持ってきた中川さん凄いな。
その通りだ。

きっとこれから先
『この人の葬式に出たい』
と思える人は未だ少し増えるのだろう。
その中の人と恋愛をする事もあるのかも知れない。
でも、もし、恋愛をして“恋人”と言う関係性を持って、
それがずっと続けば良いけれど、もし、終わりを迎えた時、
その人の葬式に出られないかも知れない、と思ったら、
やっぱり、私は、
『永遠の片想いをしていたい』
と思ってしまう。

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