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信じるということ

わたしは人を信じやすい。

言われたことは、なんでも信じてしまう。

そのせいで友だちからは、

「そんなになんでも信じてたら、
 いつかだまされちゃうかもよ!
 もっと疑うことも
 大切にしたほうがいい気もする。」

とよく言われてしまう。

うん、ごもっともだ。

でも、でも、

わたしは相手を疑って
接することなんてしたくない。

そんなの、かなしすぎるし、むなしすぎる。

芦田愛菜ちゃんが以前、

「『その人のことを信じようと思います』
 という言葉って
 よく使われると思うんですけど、
 それはその人自身を
 信じているのではなくて、
 自分が理想とするその人の人物像に
 期待してしまっているだけだと思うんです。
 だから人は裏切られたとか
 期待していたのにとか言うけれど、
 それはその人の見えなかった部分が
 見えただけであって、
 その見えなかった部分が見えたときに、
 それもその人なんだって受け止められる
 揺るがない自分がいるっていうのが、
 信じることなんだと思います。」


ということを言っていて、
なんだかすごく腑に落ちてしまった。

要するに、
信じていた相手から
もし裏切られたとしても、
それはその相手に勝手に
期待をしてしまっていた、
自分もわるいのだ。

もしも相手に
マイナスな部分が見えたとしても、
それが見えたときにも
相手を信じることを
したいのか、したくないのか、
それを決めるのはわたし自身。

だからわたしは
もし誰かから裏切られたとしても、
きっと怒らないだろうなあと思う。

だって、勝手に相手に
期待をしてしまっていた、
自分もわるいと思うから。

でもきっと、
すごくかなしいきもちには
なると思うから、
あまり期待をしすぎないことも
大切だと思っている。

でも、もしこの人は
もう信じられない、信じたくないと
思ってしまうことがあったとしても、
最後まで信じぬいた自分を
きっと誇りに思うだろうし、
よくやった!えらいよ自分!!って、
心の底からほめてあげたいなあ。

わたしはどうせなら、
いつだって相手を信じていたい。

信じることを、諦めたくはない。

自分が信じることで、
相手から信じてもらえることで、
信頼は生まれると思うから。

裏切られるのがいやだから、
もうだれも信じない!とはなりたくないし、
ずっとずっと信じていたい、
そう思える人たちを信じながら、
わたしはこれからもまっすぐと生きていたい☺︎

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