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作品紹介 #小説


これまで投稿してきた小説のなかで、すこし長めの作品を紹介します。

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『ことりぱたぱた、ちょうひらひら』(約3.8万字)

story:ある日、無職になってしまったなつめは、元彼氏であるかおるから一緒に京都旅行へ行かないかと誘われた。それは本来、かおるが現彼女であるさつきちゃんと一緒に行く予定のものだったのだが、旅行を目前にかおるは彼女と破局してしまったという。それでその代わりに一緒に行ってくれる相手を探しているというのだが、そんな誘いに軽々しく承諾していいものなのか迷うなつめだったが、偶然街中で再会した元同僚である根本さんから「行ってきなさいよ」と背中を押され、かおると初めての旅行をすることに…。

ちょっと転んだなあと思ったときや想定外のことが起きたとき、焦ってすぐに次の行動をおこすよりも前に、ちょっと一休み入れるのがいいよね、なんて日頃思っています。寄り道や休憩はおおいに良しで、それがあるからこそ新たな一歩が踏み出せたり、新たな興味がわいてきたり、あるいは新たなチャンスや流れがやってきたりと、肩の力を抜いてすすんでいくのが結構大切だなあという、そんな思いもあって書いた小説になります。軽やかめなストーリーだと思いますので、ぜひ気軽くお読みいただけたらうれしいです。


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『赤いビロードのソファ』(約5万字)

story:イラストレーターである夫の遼と平穏な日々を過ごす八恵子。そんな八恵子のもとにある日、ずっと好きだった人(春人)から「会えないか」と連絡があった。春人は八恵子が以前働いていた職場の同僚で、互いに惹かれ合う二人は秘密裏に喫茶店での逢瀬を重ねていたのだが、結局、好きな気持ちとは裏腹に八恵子から距離をとるようになり、関係はうやむやのまま消失してしまった。その後、八恵子のなかで春人は長らく忘れた存在になっていたのだが、その一本の電話により記憶がよみがえり、平穏な日々のなかにいた八恵子の気持ちは揺れて…。

「喪失=失う」だけれども、「喪失=ない」とは単純に言いきれないものだと思います。喪失感はかつて有ったことのあかしにもなり、意識をそこに向けていれば永遠にそれは有ることにもなる。多かれ少なかれ、人は誰しもそうしたものを何かしら抱えて生きているようにも思います。それをどう捉えるかは人によってまちまちで、そこに正解も不正解もなく、またそれによって見えてくる世界は変わってくるのかもしれませんが、その世界もまたどれも正解も不正解もないのかもしれません。静かな雰囲気のストーリーです。


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『木洩れ日の絨毯』(約9万字)

story:園田陽子(妹)と園田時子(姉)は誕生日が同じ姉妹。そんな二人の誕生日には家族みんなでピクニックへ行くのが園田家の大切な行事のひとつとなっている。そしてそのピクニックには必ず近隣に暮らす祖母である通称ばばこちゃんも参加し、みんなで仲良くケーキを食べてお祝いをする。そんな、時子いわく「ばっかみたいに幸せそう」な家族というかたちのなかで安住して日々を過ごす陽子たちだが、そんな家族にもささやかに変化は訪れて…。

家族って、不思議な集まりだなと思います。
家族によって喜びや幸せを感じることもあれば、家族によって苦しみや悲しみを感じることもある。家族という『型』のなかで安住することもあれば、それによって窮屈さを強いられることもある。十人十色というように、十家族あれば十色の色があり、しかもその色味はよく見てみると単色ではない複雑な色合いをしていることも多くあるような気がします。そんな不可思議で興味深い『家族』というもの。そんな『家族』というものを描きたくて書いた小説のひとつになります。


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『澄みきった青』(約12万字)

story:イラストレーターになる夢を叶えるため美術学校に通いはじめたふうこは今も学生時代からの友人である紺野への思いを捨てきれずにいる。大学を中退して美術学校に通いはじめた西はいまだに父親との関係にとらわれてしまう。専業主婦である詩織は夫との関係に悶々としながら日々をやり過ごすなかで快活な青年くるみと出会い、そして会社員生活を送る紺野は恋人である美紀との結婚に向けて着実に前進していながらもどこかで足踏みをしてしまう―。それぞれ恋や家族や将来への悩みを抱えながらも、変化への一歩踏み出す瞬間を迎えていく…。

主に五人が登場する群像劇になります。登場人物それぞれが煮え切らない思いを抱えていますが、それでも変化への一歩を踏み出すときを迎えていきます。小説のなかに限らず、生きていると、ときに誰でもそんな瞬間が訪れるのかなと思います。それは傍でみていたら、なんてことない一歩にみえるかもしれないし、あるいは一歩にすらみえないものもあるかもしれません。もしくは流れのなかで自然と踏み出さざるを得ない不可抗力的な一歩もあるかもしれません。けれどもどの一歩も、自分が自分でいるために必要な一歩になるのだろうと思います。彼らの踏み出す一歩を、一緒に見届けていただけたらうれしいです。

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