マイ・エレメントから感じる『自分と違う人と繋がることの意味』
見てきました!!
ディズニーピクサー映画「マイ・エレメント」
あーーーー良かった。。。泣
ここ最近見た映画の中で、一番良かったと言っても過言ではないくらい
心温まる、ぽっかり空いた穴が綺麗な光で満たされるような
そんな優しい映画でした。
以下、ネタバレ含む内容少しあります。ご注意ください。
熱くなりやすくて、家族思いな火の女の子エンバーと
涙もろくて心優しい水の青年 ウェイド。
二人は全く正反対の性格と性質を持つ、別のエレメント。
自由奔放な優しいウェイドとの関わりを通して
エンバーが固く閉ざしていた自分の本当の望みと向き合うストーリー。
そう、ただ正反対の二人が惹かれ合うだけの恋愛ストーリーではなくて。
『違う性質のもの同士でもつながり合える』
という多様性を認め合おうというだけのストーリーでもなくて…。
自分の真の望みを直視し、その望みを叶えるためにどう生きる?
どう相手に伝えて、どうやって『自分』と、『人』と繋がっていく?
見終わった後、自然とそんな問いが自分の中に生まれる物語でした。
火の女の子、エンバーは、ウェイドとの関わり合いの中で、
自分でも薄々気づいていながら、
気づかないように抑え込んでいた本心に、初めて対峙することになる。
一人ではどうやったってたどり着くことができなかった未来に
正面から向き合うことになる。
そんなエンバーが、少しずつ本当の自分を
取り戻していく葛藤が、
とてもリアルに、温かく描かれています。
違うことの意味
エンバーがウェイドに惹かれたのも、
ウェイドがエンバーに惹かれたのも、
自分とは全く違う性質を持つ相手だからこそ。
その違いはキラキラと輝いて見える。
エンバーには、自由奔放で感情表現豊かなウェイドが
自然と周りを巻き込みながら大きな波を起こしてく姿が眩しく見える。
頑なに閉ざす自分の心にそっと入ってくるウェイドの在り方に
どうしたらそうなれるの?と憧れるエンバー。
ウェイドにとっては、揺らがない意志を持って家族を守ろうとする
強さを秘めるエンバーの美しさに惹かれ、
唯一無二の彼女の魅力に誰より価値を感じ、
その魅力をもっと自分のために解放してほしいと願う。
きっと同じような性質を持つ二人だったら、
その違いや良さに気づくことはなかったし、
二人が全く違うからこそ、そのお互いの輝きが化学反応を起こす。
違うことの素晴らしさ。
違うからこそ、相手を知りたい、知ろうとすることの素晴らしさ。
人は凝り固まった固定概念で、
一体どれだけの人との化学反応をなかったことにして生きているのだろう。
そんなことを考えさせられる二人の出逢いが、本当に宝物のように描かれてる。
そして、そんなウェイドだからこそ、開けることができたエンバーの心の扉。
『家族のために』と、見て見ぬ振りをしてきた自分の本当の願いに
エンバーは向き合っていく。
怖さと向き合うこと
本当の願いに気がついてしまうことは、怖い。
叶わないかもしれない夢を描くことの怖さ。
もしかしたら、本当に叶わないかもしれない怖さ。
失敗する、うまくいかない、そんなダメな自分を直視することの怖さ。
家族を失望させてしまうかもしれないことへの怖さ。
家族を裏切ってしまうことへの罪悪感。
そんな怖さを感じないために、ずっと閉じ込めてきた自分の本当の願い。
最後の最後まで、エンバーはその恐怖を受け入れることができずにいるのだけど、
最後、ウェイドの本物の愛を受け取ることで、エンバーは自分の願いを初めて
家族に伝えることができる。真っ直ぐに。
それはきっと、ウェイドがいつだって『本当の気持ち』を相手に伝えることを
諦めない人だったから。
『本当の気持ちを伝えられるチャンスなんて、人生でほんの一瞬しかない。』
そう、ウェイドはエンバーに言う。
彼は、いつだってその一瞬を逃さないように生きていた人。
だからいつも後悔がない。悔いがない。
その瞬間感じたことを嘘なく、愛を持って表現できる強さを持つウェイド。
エンバーの第二の人生は、彼の強さと優しさによって開かれていく。
怖さを超えた先にしかない未来に向かっていく。
多様性を認め合い、受け入れることとは
マイ・エレメントから感じられる『多様性』
『違うことは、それだけで素晴らしい』と言うこと。
お互いに違うからこそ惹かれ合い、それぞれの良さがより際立ち、
もっと近づきたいという素直な願いによって、ウェイドとエンバーに訪れる奇跡の瞬間。
この瞬間が本当に美しいんです。
火の熱さに水が蒸発することもなく、水に火が消されることもなく
二人は化学反応を起こしていく。
手と手を重ねること、抱き合うこと。
触れ合うことを通して、お互いの違いを心地よく感じる二人。
違うことは、素晴らしい。
その真意はきっと、
『多様性を受け入れる』ということが、
全く違う相手を通して、
本当の自分を知る、本当の自分を受け入れる
ということに繋がるからじゃないだろうか。
『多様性を受け入れよう』と、自分を中心にして世界を見ると言うことでもなく、
自分以外の誰かのために!と声高に叫ぶことでもない。
多様性の『多』の中には、
紛れもなく自分もいるのだから。
『違いを受け入れること』は、
ただただ、一番自分が美しく映る鏡を覗かせてもらえる奇跡。
その鏡を覗いてみることでしか、気づくことができない自分の姿。
そんな自分を見ることができて、
『これが私なんだ』と自分を迎え入れること。
相手を知ろうとして覗き込んだ鏡は、
誰でもない本当の自分を迎えにいくための鏡。
きっと私たちのすぐ側にも、
エンバーやウェイドのような出逢いが、たくさん散りばめられている。
そんなことを思いながら、きっともう一度、私は映画館に足を運びにいく。
もう一度、彼と彼女と自分に出逢うために。
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