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【お前誰?】今更、自己紹介。



noteをインストールした次の日に会った幼馴染に、「わたしちょっと前からnoteやっててさ。」と告白(?)されてから1ヶ月ちょっと経った。
当時遊んでただけの大学生だったわたしたちは、着てるんだか着られてるんだか分からないようなスーツを身にまとい、生意気な顔をして、社会人として生活を送っているわけである。
彼女をmorii otoと呼ぶことにも少々慣れてきた。彼女がnoteで繋がった温かいコミュニティにあやかり、わたしもなかなかにnoteを楽しんでいる。

だけど、自己紹介をしていなかったことに気付いた。誰やねんお前。
ということで、自己紹介をしてみる。
別に興味ないかもしれないが、わたしは自分語りをするのが大好きなので、書きたいことを書きたいだけ書かせてもらう。 

プロフィール

名前は「真っ直ぐ自由に」という意味らしい。あながち間違いなく育ったかも。
年齢:22
職業:会社員
誕生日:2001年3月21日生まれ。3.2.1で覚えやすいけど、パスワードを誕生日にしようとすると「連番はやめてね🌟」とかたまに言われて困る。 
好きな食べ物:卵、蕎麦、味噌汁
嫌いな食べ物:海老、タコ、イカ、貝類、ミルクティー、抹茶、ほうじ茶スイーツ、辛いもの(生きづら)

過去

東京は三鷹市で生まれ、そこから都内で2回引っ越し、幼稚園の年長さんに上がったタイミングでマレーシアはクラルンプールに引っ越した。
家が広すぎて最初びっくりしたのを覚えている。

プールあった。


日本人学校に通っていたし、ご飯も日本食ばっか食べていた。だけど、学校の清掃員の現地の人と、英語でコミュニケーションを取っていた記憶がなんとなくある。
というわけで、日本と何ら変わらないようなマレーシア生活を送っていた。けど、昔から祖父母が大好きで、なかなか会えないのが嫌で、普通に日本帰りてぇ〜と思っていた。日本のテレビ観れなかったし。あ、日本のテレビ観れなかったんだ。わたしがプリキュアもポケモンもトトロも千と千尋も通ってこなかった理由はこれかもしれない。
3年が経ち、小学校3年生の頃に念願の帰国を果たす。ワーイ。

ちなみに、morii otoとはこの小学校で出会った。
といっても、小学校の頃はずっとクラスが違ったし、当時大人しかったわたしと違って、moriiは学級委員の常連だったし、運動会では毎回リレーの選手だったし、一緒に習ってたバトントワリングではドヤ顔で両手でバトンをクルクルと回し、合唱ではピアノの伴奏をしちゃうような超エリートだったので、ほぼ喋ったことがなかった。

小学校のメンバーがほぼそのまま上がって、卒業式も入学式もやる意味あるのかな、みたいな中学校生活が始まった。ここでmoriiと同じクラスになり、なんとなく仲良くなる。
本当はマレーシアの時にやっていたテニスをやりたかったけど、テニス部がなかったので1番近いか、と思いバドミントン部に入る。それで、まあバドミントンにハマる。ハマりまくる。moriiとはダブルスのペアを組んでいたけど、部活以外の時間もほとんどバドミントンをしていて、先輩の中に2人だけ食い込んで団体戦に出場したり、大会ではメダル常連だった。(といっても、中学校が少なかった上にレベルの低い区だったけれど。)
なぜかこの辺りから集団を仕切る立場によくなるのである。部活では部長という名のもと、事務作業的なこともキャプテン的な、練習メニューを考えるみたいなこともやっていた。中学校は2クラスで50人いないくらい人数が少なかったのだが、生徒会に立候補する人が誰もいなくて、毎日先生に呼び出されて「頼むからやってくれ」と言われて、別にやりたくもなかったのに毎日選挙活動をして、生徒会もやった。と思ったら今度は、「頼むから生徒会長になってくれ」と言われて、全然やりたくもなかったのに生徒会長になった。生徒会長としてやりたいことは特になかったので、意味もなくベルマークの回収に力を入れたりしていた。
中学校の3年間は、とても濃いものだった。小学校から一緒だったみんなはきょうだいのように思っていたし、先生たちもわたしたちのことをよく可愛がり、よく怒り、親の様に育ててくれた。
そして、「人生はめんどくさいことだらけよ」が口癖の、担任の先生兼国語の先生に出逢った。先生は教科書を執筆するほど有名な先生だったけど、板書を一切させないで、毎回ノート1ページに「今日の授業の感想」とか、「今日の授業で思ったこと」を書かせる、ヘンテコな授業をする先生だった。だけれど、毎週おすすめの本を教えてくれたり、綺麗な日本語を教えてくれた。わたしの文章好きのルーツは確実にここである。

毎週配られてたプリント。


そしてもう1人、これまた教科書を書いていた、めちゃめちゃ厳しい英語の先生がいた。今どき、宿題を忘れたら廊下に立たされたのである。発音がちょっとでも違ったら居残り、それでも終わらなかったら放課後、それでも終わらなかったら次の日の朝早く来て、職員室の鏡の前で、「分かるまでやれ」と言われて、「th」の発音をひたすらやったこともあった。当時はマジできつかったが、その先生は英語の楽しさを教えてくれた。毎月英語の歌を歌い、週に1回は映画を観て、3年生の時は英語劇をやった。そのお陰で、わたしもmoriiも英語が死ぬほど得意である。自分で言っちゃうくらい得意。

え、過去長すぎ?
高校は楽しかったけど大した思い出ないので飛ばします。ちなみに、同じ中学から2人だけその高校に進んだのだが、moriiとわたしだった。

高校は都立に行きたくて、苦手だった理科を泣きながら勉強した。その時から「大学は絶対に私立に行く」と決めていて、慶應か早稲田に行こう、と決めた。
「通っている時間が勿体無い」「何でわたしは分かっていることを集団授業で教えられないといけないんだ」みたいなクソ尖った理由で塾に一切通わず受験した。とはいえ、模試の判定は全然良くなかったし、過去問全然わかんないし、全然自信はなかった。でも、なぜか周りはわたしに超期待していて、「大川なら絶対大丈夫だよ。」「スッて慶應受かりそう」と言われていて、「え、わたしはそんな凄い人じゃないのに…!」と周りが思う自分と自分が思う自分のギャップに苦しんだりもした。
でも、本人は覚えてないだろうけど、ある日の帰り道、moriiに
「大川は絶対慶應受かると思うよ。」
って言われて、なんか絶対に受かる気がした。

で、スッと慶應に受かった。

慶應では文学部の社会学専攻に進んで、ダンスのサークルに入って、houseというダンスを踊っていた。いつかダンスの動画載せよっと。 

ちゃんと卒論書いたよ↓


ダンスやってた↓

現在

性格。
長所:
(就活してた時、友達にわたしの長所を聞いてみた)
・話しやすい
・話がおもろい
・人にはあんま言わないし押し付けないけど自分の意見持ってる
・心が広い
・要領がよく器用
・芯がありながらも柔軟で他者に寛容
・さっぱりしてるのに情に厚い
・人の良いところを見つけるのが上手く、いつも他者を受け入れる体制がある。

え…?



めっっっちゃ良い奴やん…………



でも、どれも「それな」って感じなので、そんな感じの人、とイメージしていただければ幸いである。




短所:
せっかち、雑、妥協癖ある、集中力ない、etc…

未来

わたしの夢は二つある。
1つ目に、経済的に自立すること、2つ目にえらくなること。
1つ目に関して、もし将来結婚して、離婚しても困らないくらい経済的に自立していたい。
友達で親が離婚した人が多くて、中学校くらいの時から「すぐに別れられるくらい経済力欲しいよね」とか話してた。マセガキ。
目標は、「出かけた先でなんとなくあの子に似合いそうだな〜と思ったお花を買ってプレゼントしちゃうくらい」の経済力が常に欲しい。


2つ目に関して、わたしは偉くなることが好きなのである。
別に偉そうにしたいわけではなく、誰かに教えることとか、誰かに慕ってもらえることがすごく好き。
だから、わたしはなるべく一つの組織にいて、その組織の中で偉くなって、多くの部下を束ねていたい。
そんな感じ。

やたらと中学校の話が長くなってしまい、いろいろ端折ったが、ざっとわたしという人間はこんな感じである。ここまで読んでくれた方は本当に凄い。なんかあげたい。
というわけで、仲良くしてくださってる方は本当にありがとうございます。これからも何卒。

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