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窮鼠はチーズの夢を見る/今ヶ瀬の椅子とタイトルの意味

窮鼠はチーズの夢を見る、
性別とか関係なく、切なくて、苦しくて、辛くて、リアルで、とても心に残る映画だった。

どのシーンも本当に素敵だったが特に印象に残ったシーンがある。それが椅子のシーン。

岡村ちゃんが大伴の家で一夜を過ごした日の朝のこと。岡村ちゃんは今ヶ瀬が置いていった黄色の灰皿を見つけて「どんな女の人だったんですか?」と聞く。他にも、色々聞く。このとき大伴は今ヶ瀬について色々なことを思い出したはず。心ここにあらずといった感じでぼーっとしていたから。

色々聞いてもちゃんと答えてくれなくて、心ここにあらずで、手持ち無沙汰になってしまった岡村ちゃんは椅子に座る。今ヶ瀬がいつも猫背で、小さくなって、タバコを吸って、大伴の帰りを待つように座っていたあの背の高い椅子。

大伴はそれをちらっと見て言う、こっちにおいでと。岡村ちゃんは嬉しそうに大伴のいるベッドの上に行ってハグをする。大伴は今ヶ瀬の椅子に座ってほしく無かった。ずっと今ヶ瀬のための椅子であってほしかった。

ラストシーン、決意をして岡村ちゃんと別れた後の大伴の家が映されて終わる。分かりやすい場面としては今ヶ瀬の灰皿を洗っているシーンがあるけれど、私が心にぐっっと来たのは大伴があの背の高い椅子に座るシーン。きっと大伴はもう追いかける資格なんかないって思って、あの椅子に座って、待ち続けるだけなんだと思う。今ヶ瀬も他の男と寝てあんなに泣いていたけれど、二人の結婚生活の邪魔は出来ないってもう戻らない気がする。  

運命の相手って、いつまで経っても噛み合わない。窮地に陥った時、一人は二人に向き合う決意をする、でももう一人は違う覚悟を決めてしまう。好きだから考えすぎてしまうし見えなくなってしまう。

「窮鼠はチーズの夢を見る」

きっと恋する二匹のネズミが窮地に陥った時、窮地にいても一緒にいられることが幸せで、二匹のネズミはチーズの夢を見て、現実をちゃんと見られなくて、独りよがりな決意をして、いつまでも噛み合わずに終わってしまう。本当は二匹の窮鼠はお互い手を取り合って猫を噛まなければいけないのに。


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