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等身大のエリオへの憧れ/Call me by your name

イタリアの乾いた空気と冷たい川の、泉の水コントラストが美しくて、知的で芸術的な彫刻が美しくて、そんなひと夏の愛の映画、Call me by your name。以前にも「言語によるエロティックな交わり」という記事を書いているが今回は「等身大のエリオへの憧れ」というタイトルで一つ記事を書いてみようと思う。


オリバーからエリオに注がれる憧れの眼差し

オリバーはきっとエリオに対して憧れを感じている。エリオ自体への憧れももちろんあるけれど、エリオの生き方にきっと物凄い憧れを持っている。オリバーがそれを自覚しているのか、していないのか、それを知ることはできないけれどエリオへの憧れを抱いているのはきっと確かだ。

等身大で過ごすエリオへの憧れ

オリバーは好青年だ。オリバーがエリオの住む町にやって来て何日と経たずに皆からいい人だと認められる。エリオの友人の女の子たちとバレーをしているシーンでは「去年の学生さんより素敵ね」と言われている。皆から「いい人ね」と言われるオリバー。だけど「いい人ね」と言われる割にオリバーの気持ちが殆ど汲み取れない。オリバーが何を考えているのか、嬉しいのか、悲しいのか、全く分からない。きっとエリオにとってはそれがミステリアスで大人に見えて、憧れの気持ちも抱いたのだろう。

でもオリバーは、子供らしく思ってることも、感情も、いつもありのままにさらけ出しているエリオに憧れの気持ちを抱いたはずだ。

桃のシーンでのからかい

この映画で最も有名と言っても過言ではない桃のシーン。話題となっているのはエリオが桃を使って、というシーンだが私はその後の二人に注目したい。エリオが落ち着いた後、オリバーがやって来る。ベッドサイドに置かれている桃を見てオリバーはからかう。そしてエリオのが混じった桃の果汁を飲もうとする。

ここでエリオはやめてと主張しながらオリバーの手から桃を奪おうとする。でもオリバーはやめてくれない。最終的にはエリオが泣いてしまいオリバーが折れてからかうのを辞める。

このシーンではオリバーは大人な感じでどこかスカしている。きっとエリオはそんなオリバーがムカついて、でも好きで。こんなことが描かれるためのシーンだと思うけれどきっとそれと同時にオリバーからエリオに注がれる憧れの眼差しもあると思う。素直に泣いちゃうエリオを見て、こんな風に大人ぶって変なことしなければ良かった、ってオリバーは思っている気がする。エリオをからかったのは本心じゃなくてエリオに大人なところを見せたかったからだから。

I like the way you say things.

エリオが秘密の川にオリバーを連れて行った時、オリバーは言う。“I like the way you say things.”/「君の話し方が好きだ。」これは私の一番好きなセリフでもあるのだがオリバーの本心を表していると思う。君の話し方が好きだ。きっとエリオが本当に好きで、エリオの話し方、つまり表現の仕方が好きで。エリオの表現、感情の表し方に憧れて。オリバーはまたエリオに憧れているのだ。

両親の理解

オリバーはエリオが父母に恵まれていることにも憧れを持っていると思う。エリオの父母は同性愛に対して理解があって、そして何よりもエリオを尊重している。それに対して同性愛者は矯正施設行きだと言うような父母を持つオリバー。エリオの環境に憧れを持たないはずがない。

自分を殺さないエリオへの憧れ

大人になるにつれ誰でも自分を殺して社会に適応し生きていく。オリバーだってそうだ。でもエリオは自分を殺さず、純粋無垢な心に従って生きている。オリバーはきっとそんなエリオを憧れに思った。

そしてエリオの父は物語の終盤でこう語っている。

But to make yourself feel nothing so as not to feel anything. what a waste! our hearts and bodies are given to us only once./「何も感じないように自分の気持ちを見なかったことにする。それはあまりにも勿体ない。私たちの心と身体はたった一度、たった一つしかないのだから。」(意訳)

もしかしたらこの映画はこの父のセリフを通して、そしてオリバーの描写を通して、オリバーのように自分を殺して生きている我々に本当はエリオのように生きたいんじゃない?って問いかけているのかもしれない。

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