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好きなものを好きというための時間なら…ま、いっか。

こんにちは、まゆきちです。
5月半ばくらいに、こんなにスマホばっかり触ってていいんか?という気持ちになり、
スマホからポップアップされる自分のスクリーンタイムに唖然として、
あかんあかんあかん!
こんなことしてたらあかん!
急に怖くなったのです。

いくら
夫→単身赴任、
息子たち→家には寝るためだけに帰ってくるのかい?みたいな大学生
で、ひとり時間を持て余しに余し過ぎていたとしてもその時間をスマホでほぼ支配される感じ…
あかん!と急に拒絶反応が出ました。

そして、スマホから離れた結果…。
ノートパソコンをつけて、
TVerを観ながら、
Spotifyを聴き流しながら家事をして。
テレビでドラマ観て…。
ラジオでちょっとだけ英語の勉強して…。
観ている画面が少し大きくなったくらいで、やってることスマホでやっていたことと同じやーんとなりました。

だけど、noteの記事を書かなくなるとその時間はスマホ画面から解放されるし、
記事を読みにいかなくなるとスクリーンタイムは減りました。
目には優しいかもしれません。
でも、少し何かが溜まってくるのを感じました。

有益な記事を書くわけでもなく、
自分の意見をバーンとはっきり書くわけでもなく、意志表明でもなく…
だから、note記事書かなくてもいいんです。
じゃあ、なんのためのnote?
わたしはなんのためにnoteを3年も続けてきたのか?という問いにぶつかりました。

記録です。
そうでした、記録でした。

コロナ禍突入時に始めたnoteに日々の活動の記録をしてはリズムのある生活を送る努力をしたのでした。
また、緑内障でいつか目が見えなくなるのかなという不安から綺麗なものをみたい、いろんなところに行きたいという気持ちに駆り立てられて、街歩きを加速させ、見たもの、食べたもの、行った場所、全部忘れないようにと自分のための記録を始めたのでした。

noteを開かなかった3週間ほどに、綺麗なものも見ましたし、美味しいものも食べました。
それは…やっぱり記録しておこう。
自分のために記録しておくんだという最初の思いを忘れていました。

好きなものを、綺麗だと思ったものを、素晴らしい景色を、美味しかったものを、何年も経ってから思い出してニヤニヤするために。

好きなものを好きだと言うための、
好きなものを記録しておくための時間なら、
スマホに支配されてはいないよね。
能動的に、記録するためのツールとしてのスマホなんだから😉

…と、やや言い訳のように、こじつけのように
聞こえなくもないけれど、
またnoteに向かうことにいたしました。

この照明…好きだなぁ。
こんな素敵な照明の下で幸せだな〜。
東京 尾山台
オーボンヴュータンにて

今日もありがとうございました。またね〜👋

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