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心からありがとうと伝えること

ふと亡くなったおじいちゃんがそばに居る感じがした。

何を見たわけでも感じとったわけでもなく、ただ、この家で一緒に生活していたおじいちゃんが、明日も居間のガラス扉を開けたら開けっぱなしで、あの独特な存在感を持ってこちらへ歩いてくるような感じがした。

おじいちゃんだけど脚には力があって、腰はぴしっとしている。大体いつも腰に手を当てて、ピンピンしているわけでもスタスタと歩くわけでもないけれど、大腿骨にはボルトが入っているけれど、確かにもう太腿は高く上がってはいなかったけれど、歩んできた人生分の錘を引き摺りながら前進していく強さを感じる歩き方。

そしてまた唐突におじいちゃんの手のひらの感覚を思い出す。

もう指紋も擦れてツルツルになった皮膚の下には、かつてはもっとハリがあったのであろう、しかしもう衰えた老人のぶよっとした筋肉(か脂肪かお酒か)の厚みを持っていて、いつもおちょこを洗った後だから、少し濡れている手。夕食後、うらへと帰って行く時、キッチンの横の勝手口を降りて振り返り、おやすみのハイタッチを差し出すおじいちゃん。いい音が出るまで3回でも4回でもハイタッチをする。私が何歳になっても、幼稚園児と接するかのような無邪気な笑い。

「バッチグー」と昭和初期の流行り言葉のような締めの言葉に、おやすみと振り返り、6-7メートルほどの「庭」と呼ぶ小道を、砂利の音を立てながら、ずっずっ、と進んで行く。そして玄関の擦りガラスの引き戸を開けるとまたこちらを振り返って、手を振って笑顔で1日を終える。

今おじいちゃんのにおいを思い出すことができない。


おじいちゃんに心の底からありがとうと言えただろうか。

きっとおじいちゃんは私達にありがとうと心を込めて言ってくれる。私はそれをちゃんと返せただろうか。おじいちゃんの心まであったかくしてあげることはできたのだろうか。

今なら言える。朝バス停まで車で乗せていってくれたからでも、お小遣いをくれたからでもなく、こんな恩知らずな私なのに、たくさん愛をかけてくれてありがとうと心の底から溢れてくる。


ドイツから一時帰国した初夏の頃。もう会えないのだと分かっていながら、何も知らないおじいちゃんに悟られまいと、またねと声を掛けて、ありがとうが言えなかった。

(2023/2/20)


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