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誰かの背中をそっと押せる存在でいたい。

週末の夜、約3年以上ぶりに友人とLINEコールをした。

スマートフォンの画面と通話口の先にいた彼女は、私が京都のシェアハウスに住んでいた時のルームメイト。

きっかけはInstagramでの彼女の投稿。オーストラリアが日本人と韓国人向けに対オーストラリアへの渡航規制を緩和したニュースのシェアをストーリーズ上でやっていたのをみて、私がスタンプを送り反応したこと。

それまでも数ヶ月に一度、投稿にスタンプ類を中心に簡単な反応はしてきたが、今回は台湾・台北市に住む私と、オーストラリア・メルボルン近郊に住む彼女それぞれにとって大注目ニュースである、国境制限に関する話題。
思わずそこから互いの国の様子や、互いの近況への話に花が咲いた。

3年以上も直接口からの言葉を交わしていないと、そこそこ緊張するもの。
一呼吸置き、iPhoneの画面の向こうから飛び出てきた変わらず元気そうな、そして数年前よりなんだか深みがでた彼女の声が私の耳に届き、緊張が解れ昔と変わらず会話できている自分に安心した。

2018年の始まり頃にパースの地に降り立ち、ワーキングホリデーで2年、
その間語学学校生、ハウスクリーナー、オーペアなどの仕事、アデレードでファームジョブ、そして時には恋に失恋からの大陸横断旅、と大冒険を繰り広げた後、
最後の地だったメルボルンで、奇跡的な巡り合わせにより出会った今のオージーの彼氏との生活、それによりオーストラリアの後ニュージーランドかカナダへ行く計画を180°一気に変え、語学学校→TAFE(現地専門学校)へと、力強く挑戦を続けてきたストーリーまで、ただただワクワク聴くしかなかった。

一緒に京都に住んでいた頃は、洋画・洋楽こそ私より圧倒的に好きだったものの、英会話に関してはほぼ皆無だった彼女が、後2週間でついに学校生活を終え、次のステップと共に今度は年々かかるコストが上がり、パートナー共々英語テストまで課せられ難化しているというパートナービザ申請にも挑戦していく姿に、ただただ圧倒されていた。

そんなところに、ふと切り込まれた話。

「私、なんでオーストラリア来たの?って聞かれた時、絶対にまゆさんのこと、話すんです。」

「事実、パースって街を知ったのもまゆさんが教えてくれたからだし、まゆさんにパースやオーストラリアのこと、教えてもらわなかったら私今ここにいないので。まゆさんが私の今の生活をしているきっかけです。」

「(京都にいた)あの時、まゆさんが熱くパースやオーストラリアのことを語ってくれたからこそ、感化されオーストラリアに来れたんですよ!」

「実際パース、無茶苦茶好きになりましたし、いろんな街を回って、パースが魅力的な街だったって改めて思えました。ああ、早くWA州、州境開いてまた立ち寄りにいきたいです〜!」


何気なく自分が楽しい、魅力的だと思ったことをガツガツ話したこと。
それが少なからず彼女の人生の選択肢を広げたことになっていた。

確かに京都で一緒に暮らした約6年前のあの頃は、まだ私自身も最初の渡航地で初めての長期海外生活の第一拠点だったパースの記憶も鮮明で、タイミング的にもちょうど1stワーホリから日本帰国したすぐ後だった。その分経験と思い出を語る熱量も、今口から飛び出させるよりも大きかったはず。
それをそのまま、自分の口で熱く語ったこと。それが気づけば聞いてくれた相手の背中を後押ししていた。

自分が一所懸命楽しみつつ、時々失敗や踏ん張ったことも踏まえて全力で自分を出し、語ったことが誰かの次のきっかけになる。
それほど嬉しいことはない。


***


今私は、台湾に来て4年目に突入中。
30代に入りすぐやってきたこの街でも、少なからずもがきながらそれなりに生活を築いてきた。
だが、ずっと感じてきたことがある。


「何かがおかしい、何かが動かない。」


中国語能力皆無でオーストラリアで培った「とにかく現地・現場へ飛び込めば次開くだろう作戦」で台湾にも挑み、
結果的に日本語ネイティブx英語基本的な会話(簡単な社外&社内コミュニケーション可能)レベルを推し、観光ビザ渡台1ヶ月で運良く今の仕事に在り付け、就労ビザを出してもらいながら生活してこれた(その後、今年に入り結婚ビザヘ切替済)。

だが、就労1ヶ月経過頃からずっと消えない違和感

”つまらない”

の声との戦いが続いている。
過去ワーホリ行きを決めた時などのように、”今行くしかない・やるしかない”のサインも見つけられず、代わりのステップを見出せないまま今の仕事を淡々とこなし続けている。結果、正直成長に結びつかず、仕事に楽しみや発展、誰かのために役立っている、といった感覚も見つけられず、ひたすらモヤモヤが消えない生活が続いている。

このままだと、ずっと私の生活状況は変わらないし、細々とした収入が入るだけで何も発展がない状態のまま、気づけば40代突入してしまうのではないか。時間が経過すれば経過するほど、そんな焦りも大きくなってくる。

過去状況打開時に助けてくれてきた、頼みの綱である必殺・「人に会いまくる作戦」も京都・大阪やオーストラリアにいた時と比べるとこれまであまり上手くいかずにいる。
時にはある程度高額分も含め、とにかく見本となり模倣目標にできる方・環境を探し収入を増やすべく、お金をかけてきた取り組みもあったが、結局興味を持ち続けられず上手くいっていないものがほとんどで頓挫。
オンライン会議・セミナーなどもどんどん発達してきている時代だからこそ、とオンラインで見つけたイベントに飛び込んでみるものの、過去オフラインでやってきたようには良い出会いになかなか結びつけられていない。

そんなこんなで頭の中ばかりぐるぐるし、現実を変えていけていない焦る気持ちと、動かない現実に少なからず絶望のようなものを感じ、淡々と興味のないかつ苦手な作業が多い仕事と向き合う毎日から抜けられずにいるのは事実だ。

そんな最中でもある私の耳に、スマートフォン越しに届いた言葉。


「つまらない仕事に携わりながら、一箇所に縛られて過ごしているなんて、まゆさんらしくない!もっといろんなところへ向かい動く人じゃないですか。」


日常、なかなかそんな悩みも相談できる環境を見つけにくくある中、
彼女からこの一言をもらい、ハッとしたものがあった。
私はなぜ、今の”つまらない”連呼する環境で、3年以上も耐えてきているのだろうか。

今は国境制限がかかっているところも多い世の中で、今のうちに資金を貯め、制限が緩和された際思いっきり旅に充てられる分を少しでも多く作っておく。これも仕事が続くほぼほぼ唯一の理由。でも、今いる場所で耐え忍ぶしか、本当にやり方ってないのだろうか。

つい目の前のことしか見えず、頭が詰め詰めグルグルになる日々から、脱出できる方法は、もっと沢山あるんじゃないんだろうか。
今やっている方法以外の時間を割り当て方があるんじゃないだろうか。


***


”誰かの次の一歩を、そっと導ける存在で居続けたい”
”誰かの背中をそっと押し、小さなきっかけを提供し続ける存在でいたい”

新卒の頃から変わらない、私が私自身に設定している目標。
直近ふと言葉にしにくくぼんやりしつつあったそれを、思わぬ過去の思い出話〜現在に至る生活取り組み、客観的に私を見てくれ、尊敬してくれていたからこそ口から出てきた彼女の言葉が、
私の中で大事にしていきたいのに、目の前の葛藤で忘れ去られようとしていたのを食い止めてくれたことに、感謝した夜だった。

”私は、こんなもんじゃない”

少しずつ、少しずつでも前へ進んでいるのか、日々振り返りながら、目標の通りに日々を送れるまで、立ち止まらないように歩を進めていくのみ。
また熱量を持って、人に語り尽くせる経験と出会いに巡り合える瞬間まで。


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