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サピエンス全史(上)を読んで

今更ながら『サピエンス全史(上)』を読んでみました。
『サピエンス全史(上)』はイスラエル出身の歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリの著書で、過去の人類史から現代社会に至るまでの変遷が、政治、経済、文化、科学技術などの様々な面から解説されています。
今までの人類史の視点が大きく変わるようなことを述べられていて、衝撃を受けたことも多く、読んでいて大変興味深かったです。

1つの話をするのに色んなエピソードが挙げられているおかげで、上下巻に分かれてしまうほどとても長いです。しかし、そのエピソード1つ1つは面白いものも多かったです。

例えば人類の特徴である大きな脳によって多くの発明ができ、直立歩行によって手が使えるようになって器用さが増したが、大きな頭骨をささえるために腰痛と肩こりに悩まされることになったとか(笑)
私の肩こりは古い祖先から受け継がれているのね…(笑)

まずこの本を読み進める中での最初の衝撃は「私達は自分達だけが人類だと思っているが、ホモ属に属している種は他に数多くあった」という点です。え、そうなん?
私達の祖先であるホモサピエンスは他のホモ属の種を滅ぼして生き残った人類らしいです。では何故、私達の祖先だけが生き残ることが出来たのか。
ホモサピエンスは言葉が使えて、道具が使えて、脳が大きいから能力が高いからと考えがちですが、そういうことでもなさそうです。
最大の勝因はホモサピエンスだけが「フィクション(虚構)」を作り出すことが出来たからだそうです。これを「認知革命」というそうです。
これまで人類は互いに見知った範囲でしか信頼関係を築けませんでしたが、フィクション(例えば精霊とか)を共有することで互いを知らなくでも、同じフィクションを信じているもの同士として互いを信用するようになり、協力することができるようになったと述べられています。

そんなことで?って正直思いました。しかし、貨幣も宗教も国家も目に見えるものではなく、人類が作り出したフィクションにすぎず、それを多くの人が信じることによって、それは共通認識としてまるで事実、存在するかのように私達はとらえているというのです。
まぁそう言われるとそうか…。新しい視点で私自身今まで考えたこともないことだったのでとても新鮮でした。

そして認知革命の次に人類の進歩を進めた「農業革命」が人類にもたらした影響について述べられています。
興味深かったのは農業革命によって人口が爆発的に増えて人類という種としては大躍進したが、人類の一個人の視点で見ると必ずしも豊かになったわけではないと述べています。革命以前の狩猟採集民の方が、労働時間も短く、多様な食物から栄養を得る為に健康で、一定の地にとどまらないために感染症が流行ることもなかったそうです。これは今まであまり私は耳にしたことがなくて目からうろこでした。

また、面白かったのは「小麦」の視点で農業革命について述べられているところです。農業革命によって小麦という種はこの地球上の至る所に存在し、種としては大成功を収めているといえると。確かに!種の個体数が増える=繁栄と解くのであれば、ある意味人類よりも成功しているかもしれません。

さらに農業革命以降、今日にいたるまで宗教や民族主義、資本主義などのフィクション的なストーリーが、人々を団結させ、社会の統一をもたらしてきたと話は展開されていきます。そして社会が成立する過程では想像上のヒエラルキーが重要な役割を果たしてきたとして人種や性別による差別などについても触れられていたり、帝国による統一とその地域における文化についても触れられています。

総じて認知革命におけるフィクションの共有によって今日があるという主張が話の軸になっていました。

この本を読んで、私が今まで思っていた人類史とはどうやら少し違うぞ…と強く感じました。では私が今まで認識していた人類史は一体何だったのか?ということです。
それこそ、どこかの誰かが作り出した「フィクション」だったのかも
しれないなぁと思いました。
本の中でも古代人類についてはまだ分からないことが多いことも書かれています。正解はまだわかっていないのです。ということは、この本の内容だってもしかして「フィクション」と言えるかも?
下巻も既に入手しているので、読むのが楽しみです。

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