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1 幕開け 少女から大人になる

20歳。ついにこの日がやってきた。やってきてしまった。

4月、5月、…周りの子がどんどん20歳を迎えていく。そして皆言う。

20歳になっても何も変わらないよ。
いつの間にか20歳になってたよ。そんなもんだよ。

うーん、そんなあっさりした日になっちゃうの嫌だなあ。確かに19歳も20歳も21歳もそんな変わらないかもしれないけど。そうなんだと思うけれども。
どうすればこの人生の節目の年の一つをなんとなくで終わらせないことができるんだろう。20歳になるこのときを大切にしたい。そうは言ってもなあ。

19歳になったくらいから1年間ずっと考えていた。1年前にこう思わせてくれる出来事があったのだ。

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私と同じ誕生日の、大学生になってから知り合った1つ年上の友達がいる。彼女は私に誕生日プレゼントをくれた。口に入れると幸せが広がるようなとてもおいしい、ケーキ屋さんのクッキー。それをもらったとき酷く驚いた。なぜかって?誕生日である彼女自身が祝われる日に、他人を祝おうというところまで考えが行き渡るなんて素敵すぎる。私はそのときそんなこと全然考えなかった。
1つ下のまだまだ幼い私に向けたメッセージにあった言葉。
「内に秘めた芯の強いところ」
「やりたいことにチャレンジし続ける」
言われて心から嬉しくなる言葉の数々。読んだ後、こちらこそあなたのことをいつもすごくすごく尊敬しているよと言いたくなった。
私はちょうど一年後に彼女と同じ20歳になる。そのとき今よりも成長して、いつも人を頼って助けてもらってばかりの未熟すぎる少女が、誰かに素敵だと思ってもらえるに値する大人に少しはなれているだろうか…

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こうしてこのとき、20歳になることを意識し始めた。考えたからって20歳になるこの日を特別な日に出来たかと聞かれると、そんなことはない。私も20歳になっただけ。でも、20歳の年に私は、少なくとも一年間、私の物語を公開することを決めた。

こう、自分語りをしている人は世の中に沢山いる。だからこれは、私にしか出来ないことでもないし、これをしていることによるアドバンテージというのはないに等しい。それに、考えをさらしていけばいくほど、それだけ周囲の私に対する興味も減るかもしれない。人間はやはり、分からないものに引かれ、知りたいと思うものだ。感じたことを活字に起こすにしても公開する必要性はない。そう思っていた。
でも本当にそう?
誰かに素敵だと思ってもらうには?

自分を自分でプロデュースしていかなければ。他人任せではダメ。そして、今までの20年間の内で私に関わり支えてくれた人達との会話から得たことやその人達への感謝も文字にして伝えたい。
それが20歳になる私の出した答え。
いつも人と話し込んでも語り尽くせることなんてない。話をしても、それが成長の糧になるよりもただ私の考えを撒き散らすだけ、なんてことも。
その場にある、私が管理する温室の中は心地よいけれど、そこでは手間隙かけて育てている花や蕾のどれだけを知ってもらえるだろうか。
ラベル付けをしなければならない。そして説明には見所も加えて。
そのツールに私は文章を選択した。話して伝えるのが下手な私にはうってつけ。
知ってもらったら、その段階の先がきっとある。一つ踏み込んで、段を登って、そこからの景色を見てほしい。

もしも私の変遷を見守ってくれる人がいたら、その人には深く、深く、感謝。どうか、土の中で踏ん張って生きている私が育てる花や蕾のどれかを好きになってくれる人が一人でも多くいますように。

ここで最近のヘビーローテーションを。

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みなさんにとって20歳とは?
そう問いを投げかけて、私の記念すべき20歳に書く文章に今、終止符を打つ。

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