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(15) 何者でもない「わたし」を生きる怖さと覚悟

何にも属さないただの自分


大学を辞める時に気がついたことがある。
それはわたしたちは生まれてからずっと
レールに敷かれた人生を歩んでいる限り、
必ず何かしらに所属してるということ。

保育園や幼稚園
小学校
中学校
高校
大学
企業・会社
何にも属さないのは
赤ちゃんと定年後だけなのだ。



これまで小中高大と、ずっと何かに所属していたわたしが初めて、何にも所属していない「ただの小林茉優」になる。学生でもない、職場があるわけでもない。そのことは小学生以降22年間生きてきて、1度もなかったことだった。

学歴もない。

免許もない。

資格もない。

辞めてどうする

仕事はどうする

どう生きていく

奨学金はどう返す

不安なんて頭の中にいっぱいだった。
でももう決めた。
「何かを身につけていく」生き方は、辞めるんだと。どんどん脱いでいって、他人や周りに左右されないありのままの、本来の自分に戻るのだと。



そして、
自分を出せば出すだけ
自分の真ん中を生きれば生きるだけ
必ず、生かされるのだと、
自分を出して生きる人間を
神様は見捨てたりしないと、
そう信じることにした。


「ほんとうの自分」を出す怖さを乗り越えてしか


自分の弱さを晒すことは怖い
本当の自分を出すことは怖い
でもその怖さを超えてしか
「ほんとうの自分」は誰にも見つけてもらえない
誰にも見つけてもらえないから
「助けて欲しい」と思った時に
ひとりで死ぬしかないんだって思ってしまうのだ。

だから何度も、自分を出す怖さを超えてきた
「こんな自分、知られたくないな」って思うような
醜い自分、弱い自分、どうしようもない自分を
はてなブログに書き、震える手で公開ボタンを何度も押してきた。

そうして
届く声が
響きあえる心が
わたしを深く癒していった

公開するときは手が震えるのだけど、
「もうわたしのこーんな部分をこれを読んだ世の人間たちは知ってんのか〜そしたらもう何も気にしなくていいな」って思えた。

怖さを超えて自分を世に出せば出すほどに
それは自分への赦しになっていて
生きるのがどんどんと楽になっていくのを感じていた。

よく思われることを諦めること
好かれ続けることを諦めること
こう思われていたいという理想像を諦めること

そのプラクティスを、わたしは21歳から4年間、はてなブログを使ってやってきた。

そして実際にわたしは今
困ったとき、ヘルプミーなとき、
ただで住んでいいよと言ってくれる
神様のようなひとたちが
わたしの周りにはたくさんいる。

ほんとに、いざ、
お金も無くなって生きれませんってなったときに、この世界の誰かに生かされる自信がいまのわたしにはある。わたしが「助けて」といえば、ほんとうに無数の愛がわたしのもとに届くのだ。

お金がなくても
わたしは必ず誰かに生かされる。
わたしを生かしたい誰かが必ずこの世にはいるはず、
そんな揺るぎない自信を持てていることは
なによりも尊い感覚だなと思っている。


怖くても恥ずかしくても
自分に正直に
自分の真ん中を見つめながら
そしてそれを言葉にして表現しながら
今まで生きてきて、本当によかったと
こころから思う。


わたしたちは
誰かの役に立つためではなく、
しあわせになるために生まれてきた



わたしは大学を辞める際に
資格や所属などという
自分を囲う外側のものがないと
まんまの存在だけでは
人はこんなにも不安なのか、と痛感した。

人は、肩書きに安心する。
人は、所属に安心する。

わたしたち日本人は常に
何をしたかという[doing]で
その人間の価値や評価が下される。

ただ、生きている
ただ、そこに在る生命と
ただ、存在や在り方[being]として
認められることがほぼない。


だから当たり前に
生きてていいはずなのに、
無職やニートの状態の人間の中には
何もしてないで
何の役にも立ってないで
自分は生きてていいのだろうか、と、
そんな呪いみたいなものが
この日本にはあるように思う。
働かざるもの食うべからずという社会通念に
いったいどれだけの人が追い込まれているだろうか。


真面目に勤勉に上の立場の人の言うことを聞き、働き続けている日本人、その中のどれだけの人が、心の底から「自分の人生はしあわせだ」と胸を張って言えるだろう。どれだけの人が過労死や自殺をしているだろう。


社会的に
優秀であることとや立派であることと
しあわせであることは違う。


わたしたちは
優秀になるために生まれてるのではなく
立派であるために生まれてるのではなく
しあわせになるために生まれている。


自分が誰かの役に立つことで
しあわせを感じられるから
役に立つのであって、
わたしたちは誰かの役に立つために
生きてるのではない。
目的と手段をまちがえない。
誰の役に立たなくったって、
あたりまえに生きて。
ただ生きて、しあわせでいていい。

わたしたちはしあわせを感じるために生まれてきたのだから。

自分の幸せは自分の中にしかない



だからまずは
この世界の大多数が歩む道を進むのではなく
自分にとっての幸せがなんなのかを知ること。

自分は何をしているときが楽しいのか
自分は何をしているときに安心を感じるのか
自分は何をしているときに夢中になれるのか

その答えは、外側には決してない。
自分の幸せは自分の中にしかない。


もうそれが問われてもすぐには出てこなくなってしまっている人は、やりたいことを探す前に、やりたくないことを辞めることが必要不可欠なのだ。



他人の反応は自分が発してるエネルギーが返ってきてる

そしてもうひとつ。
わたしが「辞める」ということに
少しの迷いや、不安や、家族への申し訳なさがあるときには、やっぱり、
「ほんとにそれでいいの?」
「それでほんとに大丈夫なの?」
みたいな声をもらうことが多かったし
自分の中に不安があるからこそ
そういう言葉が自分の心にヒットしてしまいなおさら不安になるってことがあったのだけど、


ほんとに腹の底から覚悟を決めたとき、
自然と周りの反対は消えていった。

結局は周りに起きる現実、現象は、
自分の内側のエネルギーが決めているんだと実感した。

自分が覚悟できていなかったら
自分の内側が決まってなかったら
そりゃあ周りは反対するのだ。

でもほんとに覚悟を決めれた時には、
その人の覚悟を反対する人っていないんだと思った。反対できないというか。

当たり前だけど、周りの反応は
自分のエネルギー次第であり
自分の発しているエネルギーが返ってきているのだということが体験として腑に落ちた。

だから、ただひたすらに
自分が決めるだけ
自分が覚悟をするだけ

人に何を言われたからってのは全部言い訳。
決めるのが怖い、ただの言い訳。
自分で決めたら、自分で責任を取らなきゃならないから、そりゃあ怖いよね。

自分の選択を
最高の未来にしていくと
そう自分に誓うこと
そうしていける自分の力を信じること
そうやって自己信頼を育んでいった。

ほんとの自信って、そういうものなんだろうなっておもってる。それは決して外側の何かで揺らぐことがないのだ。


そんな自信を
ただの『小林茉優』を生きる怖さと向き合い
ただの『小林茉優』で生きる覚悟をしたことで
内に育むことができたのでした。



とってもよろこびます♡