“死刑囚“に会い続ける男という映画を見て
ピースボートに乗り、南半球の国々を見てきて、人生の本質とはなんなのか、人間にとっての幸せとはなんなのか、資本主義とはなんなのか、真の学びとはなんなのか、そういったことを考えた結果、わたしがやりたいのは、公教育の教員じゃないな、と教職を諦めたそのあとに、法務教官になろうと思った時があった。法務教官とは、少年院で非行を犯した少年が更生するよう教育や指導行うというお仕事。
なぜそれを目指そうとしたかというと、非行に至る大きな要因が家庭環境だと思っていて、わたし自身もいろいろあったからだ。わたしは非行少年たちが家庭内で感じてきた負の感情がよくわかる。わたしとは比べ物にならないものだろうけど、強く共感するのだ。
何か悪いことをするひとに、『それは悪いことだ!』と罰を与えることは簡単。誰にでもできる。でもわたしは、どうしてそれをしたくなったのか、その動機、感情、こころの根っこがいつも気になる。そこを見たい。そこを知りたい。とニュースで殺人事件が流れるたびに思っている。
わたしは思う。この世に加害者なんていない。人[自分]を傷つけるひとが、いちばん傷ついている。どこにも加害者はおらず、みながこの社会の被害者なんじゃないかって。
無差別殺人をする人の中に、間欠性爆発性障害(Intermittent Explosive Disorder:IED)という症状名つけられたりするけれど、そんなの、生まれつきなわけない。オギャーって生まれてすぐに心の病になるひとなんていない。みんな必ず、どこかしらで、傷つき、何かを諦め、何かを捨て、何かを置き去りにし、何かと分離し、生きている。
人を殺すシーンに溢れるこの世の中のテレビ・アニメ・ドラマ。不可抗力を除き、人はなぜそれを見たいと思ってしまうのだろう。残虐性のあるゲームに没頭する人も、人が殺されるシーンを永遠に見続けてしまう人も、自分の何かを置いてってしまった状態である要素があると思う。
前に心の病なんてないって記事を書いた。
この世にはありとあらゆる心の病気の「症状名」がある。わたしにはそれらすべてが、《何かしらの出来事を機に自分の感情を置き去りにし続けた結果の状態》にしか見えないのだ。
人間を動かしているものは感情だとおもう。何か意思決定ができずにいるときは何かしらの感情のトラブルがある時だったり、感情と身体がコインの裏表のように作用し合ったりしている。
もちろん感情を自分を知る信号として
自分のニーズを知る手段として、俯瞰して取り扱うこと、感情自体ではなく、高次の自我による決定権を、という前提はありながら、それでも人間は、感情というものが本当に大事だと、わたしは思っている。だから感情を扱うセッションをわたしはしているのだけど。
刑務所内で輪をつくり、対話をする様子が撮影されている『プリズン・サークル』というドキュメンタリー映画でも、彼らは、非行を犯すに至る前の、さみしかった、かなしかった、辛かった感情を思い出し、認めてゆく。感情というものは、気付き、認め、味わうことで、昇華されてゆく。「ぼくは被害者です」と言っている受刑者もいたように、みな、何かしら親子関係や家庭環境で、満たされたいものが満たされなかった経験をしている。わたしもそうだったから気持ちはよくわかる。わたしは運良く非行をしていないだけだなと思う時がよくあった。
この世は被害者が被害者を生んでいる。
そんな負の連鎖がそこらじゅうで起きている。
ただ、つらいその気持ちを、
ただ悲しいその感情を、
そのままに受け止めてくれる大人が
誰のそばにもいる社会だったなら、
そういった感情との付き合い方を
学校で教えてくれたなら、
こんなにも人は人を傷つけるだろうか。
こんなにも人は自分で死のうとするだろうか。
こんなにも精神科に通う人間がいるだろうか。
この『死刑囚に会い続ける男』という映画を知った瞬間に、“行かなければならない“と一瞬で感じた。そしてこの映画の後のトークショーに登壇する中村 すえこさんに会えるのが楽しみだった。日本中の少年院をまわり、非行少年たちと、本気で真剣に関わり、生きている中村さんが心底かっこよかった。うらやましいって思った。わたしの中のエネルギーが、この世界に使われたがっていることに気が付いた。
中村さんの母親との関係性も、自分に重なるものが多すぎた。
ここ4年間の、わたしが向き合ってきた親子関係ブログたち
この過去があったから
このプロセスがあったから、
わたしはいま、これを綴れている。
わたしはいま、ここに立てている。
この世に溢れる残虐性には必ず人間の感情がある。それは、か弱き、守られるべき「こころ」だった。
わたしは学校の先生でもなく法務教官でもなく
感情の先生になりたい。それがまゆ業であり、それはもうできているって言ってくれる人もいる。だけど、わたしはわたしをもっともっと拡げたい、と思っている。
怖いけれどそんな自分の願いをここに認めた。そんな大事な映画でした。
とってもよろこびます♡